ズボン

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 行きつけの医院に行った時のことです。いつものように、同世代の医師が、この過ぎた4週のことを聞いてくれ、看護師が血圧と体重を測ってくれ、けっこう世間話とか、これまでの経験とかを聞かれたり、個人的なことまで立ち入って聞かれる、気さくな方なのです。

 頭髪のハゲ加減は、医師の方が後退していて、こちらの勝ち。若く見える度も、『年齢としては若いですね!」と、毎回の様に言われるので勝ちなのです。ところが、履いているズボンが、違うのです。こちらは、スーパーの衣料品売り場に吊るして売ってる、1980円の少々寸足らずなのに、先生の方は、宇都宮のデパートででも、奥様が買ったのでしょうか、2、3万円はする様な代物(しろもの)なのです。

 収入の度合いの違いで仕方がありません。帰国してから、もう2年近くなるのですが、下の兄が奔走してくれて受給できた、わずかな年金と、家内のお見舞いにいただいたり、友人たちや兄弟姉妹たち、華南の街の倶楽部が支えてくれたものとが、まだ底をつくことなく残っているのです。その他に、子どもたちが心配してくれて生活しているのです。ですから先生との違いは歴然としています。

 どなたかが、『ボロは着てても 心は錦 どんな花より・・・』と、昔歌っていた歌手がいましたが、家内も私も、ボロなど着ることなどありませんし、“ go to Nikkou ” で、3泊4日も温泉のある保養所で過ごすことができて、文化的な生活が過ごせています。私たちは、人に物をねだることをせずに、今日まで生きてこれました。
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 華南の街で生活を始めた頃、中国の友人たちは、豊かな国から、豊かな援助を得て来ているのだと思っていた様です。ところが、いつだったでしょうか、帰って行く家が日本にはなく、帰国のたびに違った所に居候していることを知られてしまいました。また、日本の少数の友人たち、家族が援助して来てくれてることを知って、私たちのことを感謝してくれたのです。

 大学の外国語学部の講師として働くことができ、70歳で退職後は、倶楽部のみなさんが、毎月援助してくれたのです。初めお断りしたのですが、『あなたたちは私たちの家族ですから!』との善意をお受けしたのです。そんな中、家内が病んで入院した時、入院費や治療費、帰国の飛行機代なども払ってくれました。そして、信じられないほどの助けをいただき、帰国後は、遠路を、何組もの方がお見舞いにまで来てくれたのです。

 溢れるほどの恵みをいただいて、老いを、しかも病の中を生かされております。「敬老の日」には、孫たちが長寿を愛でてくれ、生かされている喜びを感じる今日この頃です。ズボンの値段や質などは、問題ではありません。そろそろ夏物から、秋冬物に、ズボン替えの時期の様です。

 今日は10月1日、中国では、「中秋節」で、「国慶節」でもあります。一個一個の「月餅」を、人数分に切り分けて、少しずつ分け合って、食べた日々が懐かしいのです。

(標準的な「月餅」です)

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