鉄道唱歌

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 数年前に、読みたい月刊誌の購入を、メールで、私の弟にお願いしたことがありました。もちろん通販で取り寄せることもできたのですが、彼の家の近くの駅横に本屋があったのを思い出し、「誌名」と、「発行月(2018年7月18日)」と記して送信したのです。

 ところが帰国した頃には、お願いしたことを忘れていましたら、『準ちゃん、頼まれていた雑誌!』と言って、訪ねた折に手渡されたのです。そのことを思い出して、早速、手にしてパラパラとめくってみたのです。月刊紙などを買うことなどほとんどなかったのですが、華南の街の外国住まいだからでしょうか、祖国への思慕の念が強く、『今度帰国したら、旅をしてみよう!』と思っていましたら、件の雑誌の広告を目にして、買い置きをお願いしておいたわけです。

 それが、「昭和の鉄道旅(旅行読売/臨時増刊)」です。今でも、しっかり机の上の本立てに入れてあります。学校で、「地理」や「日本史」などを教えたこともあり、中学の頃には、時刻表や地図を見るのが好きでしたので、〈眠っている子〉を覚まてしまったのかも知れません。
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 狭い日本列島に、網の目の様に鉄道が敷かれ、私鉄から国有鉄道に移り変わり、地方都市には地方の私鉄が伸びて行ったわけです。東海道線を初めとする駅を歌い込んだ「鉄道唱歌(大和田建樹作詞・多梅稚〈おおのうめわか〉作曲)」があります。その最初の部分と主な駅の歌詞は次の様です。

汽笛一声(いっせい)新橋を
はや我(わが)汽車は離れたり
愛宕(あたご)の山に入りのこる
月を旅路の友として

右は高輪(たかなわ)泉岳寺
四十七士の墓どころ
雪は消えても消えのこる
名は千載(せんざい)の後(のち)までも

窓より近く品川の
台場も見えて波白く
海のあなたにうすがすむ
山は上総(かずさ)か房州か

梅に名をえし大森を
すぐれば早も川崎の
大師河原(だいしがわら)は程ちかし
急げや電気の道すぐに

鶴見神奈川あとにして
ゆけば横浜ステーション
湊を見れば百舟(ももふね)の
煙は空をこがすまで

横須賀ゆきは乗換と
呼ばれておるる大船の
つぎは鎌倉鶴ヶ岡
源氏の古跡(こせき)や尋ね見ん(横須賀)

扇(おうぎ)おしろい京都紅(べに)
また加茂川の鷺(さぎ)しらず
みやげを提(さ)げていざ立たん
あとに名残は残れども(京都)

三府(さんぷ)の一(いつ)に位して
商業繁華の大阪市
豊太閤(ほうたいこう)のきずきたる
城に師団はおかれたり(大阪)

目立つ家々築地松
宍道湖上流斐伊川を
渡れば出雲市駅に着く
明治時代はここまでで(出雲)

 一説によると、「399番」まである歌です。この「昭和の鉄道旅」には、「鉄道線路図(1964年12月1日現在)」の付録がついていて、今では廃線になってしまった路線も載っています。先日、利用した「わたらせ渓谷鉄道」は、「旧国鉄・足尾線」での記載です。郷愁を感じさせてくれるのは、飛行機ではなく、鉄道やバスを乗り継いだ旅なのではないでしょうか。

 調べましたら、「鉄道唱歌・足尾編」もありました。
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町をめぐれる渡良瀬の  
水上深く尋ぬれば
いにしえ勝道上人が
白き猿に案内させ

山に続きて二里南  
銅鉱出す足尾あり
富田すぐれば佐野の駅
葛生 越名にいたるみち

 作詞者の大和田建樹は、幕末に伊予藩の藩士の子として生まれ、高等師範学校(今の筑波大学)で教鞭をとった方です。幼少期から漢学や国学を学んだ、驚くほどの国語力を持った作詞者であることが分かります。

1. 夕空晴れて秋風吹き
 月影落ちて鈴虫鳴く
 思へば遠し故郷の空
 ああ、我が父母いかにおはす

2. 澄行く水に秋萩たれ
 玉なす露は、ススキに満つ
 思へば似たり、故郷の野邊
 ああわが弟妹(はらから)たれと遊ぶ

 どなたもご存知でしょう、作詞した詩に、スコットランド民謡の譜を付けた「故郷の空」は、大和田の作品です。明治を彷彿とさせる歌詞に、自分の故郷が重なって、眩しくて仕方がありません。

(旧新橋駅、わたらせ渓谷鉄道の沿線の写真です)

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