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 「公僕」、新明解辞典によりますと、『[権力を行使するのではなく]国民に奉仕する者としての公務員の称[但し実情は、理想とは程遠い]』とあります。英語ですと、”public servant”と言ったらいいのでしょうか。中国語では「公仆(gong pu)」で、日本語と同じで、下僕の心で、公の仕事をする人のことです。

 素晴らしい 組織も人も、始まりは清廉潔白です。受益者のために献身的に働き機能します。しかし、その内部は何時の間にか腐敗していきます。それは組織の持っている宿命なのかも知れません。その責任者の保身や、役得で、甘い汁を吸えるとの誘惑から、堕落が始まります。誘惑する者が手ぐすねひいて待っているのも事実です。一歩坂を転がり始まりますと、抑止力が効かなくなります。そうすると、世間に漏れることを嫌って、それを隠そうとします。問題の解決ではなく温存が、やがて腐敗をうみます。ある組織では、18人も愛人を持っているリーダーも出るほどになっているようです。それを養うには、次の甘い汁を求めて飛び回る蜜蜂のようです。転がり始めたら急加速です。蜜蜂は、私たちの滋養のあふれた蜜を提供しますが、組織で腐敗した輩は、害悪をもたらすのみで、やがて自己矛盾から破滅していくのです。

 そういった組織や責任者からの不当な取り扱いをうけ、虐待の被害をうけた人たちは、自殺をしたり社会不適応が始まります。ついには精神疾患の問題をもたらす被害者だっておいでです。そういった被害者を持つ家族の二次被害の問題、そんなことに関する意見が、今日日、マスメディアに多くみられます。幸いなことに、ある機関では、義の故にでしょうか、良心の叫びからでしょうか、苦渋の選択をなさって、〈内部告発〉をなさる方がおいでです。これって「チクリ」かも知れませんが、日和見な生き方ではなく、復讐でもなく、栄達や出世のことよりも、社会的な責任の故に、勇気をもってのことと、私は心から尊敬しているのです。看過ごされて、隠蔽されることによって問題が潜ってしまって、世の中から忘れされることを願わない勇気ある人が、被害者の立場からでしょうか、義の立場からでしょうか、義憤をこめて糾弾しているのです。


 私は、昨年の夏に帰国しまして、中国に戻る日の早朝、新横浜から新幹線に飛び乗りました。日曜日の午前中に開催されていた京都での講演を聞きたかったからです。関空からの飛行機の搭乗時間が迫っていて、時間がありませんでしたので、身分職分を名乗り、共通の知人の名前を出し、ご挨拶だけして辞したのです。この講演者は、公務員犯罪ではなく、ある組織の中に隠され、看過ごされている問題を露にし、その被害にあわれた方を助けておいでです。同業界人として、義の故に赦せないからでしょうか。その被害者の精神的、肉体的、社会的、金銭的な被害を公にし、加害者を実名で公表して、法に訴えることを進めておられるのです。彼の働きに賛同していましたが、彼の人間を確かめたくての訪問でした。講演を聞き、奥様からお話を伺い、彼の誠実さ、奥様の私への接し方などをみて、全く疑う余地がありませんでした。思ったとおりの人を彼のうちに認めて、平安な心で、京都駅から特急に乗り、関空から機上の人となることができました。

 被害者が、加害者に抵抗の術を奪われて、泣き寝入りの場合が多いのです。神奈川県のある街で、その業界で名の知れた男が、全国展開の業務を長年進めていました。その立場を利用して、一人の女性を犯してしまったのです。結局、被害者は自殺に追い込まれ、残された家族は悲痛な心で、日々を送っておられるのです。それなのに、加害者は、その団体から追放されてもなお、その加害の事実を覆い隠し、裁かれることなく、同じ街で、同じようにして、幼児教育に携わりながら生きているのです。その夫人が、夫の過ちを容認しているのが、不思議でなりません。こう言った問題が、今日、あちこちで起こっているようです。心ない者の非難や揶揄をよそに、その不義を糾弾してやまない彼の働きを、ここ華南の地から応援しておりまます。

 ここ中国では、一番大切な徳は、「義」です。長い歴史の中で「義」こそ、中国の良心の拠り所であり続けました。それは日本でも、どの国でも同じです。臆することも、怯えることも、躊躇することもなく、「義を行うこと」こそ、その業界を、街を、国を、そして家庭を健全に保つからであります。家庭が正しく保たれる必要があるのは、次の世代がここから始まるからであります。

(写真上は、「義」、下は、青島の海岸での藻の「腐敗」です)

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