こわい話

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子ども心に、過去の出来事を聞いて、『こわい!』と感じたことがありました。たぶん父から聞いたのだと思います。なぜなら、日本の歴史、人物、出来事のほとんどの子どもの頃の知識は、父からだったからです。〈何でも知ってる父〉、男の子の尊敬の的だった時期に、様々なことを、父に聞いたのです。やがて父の弱さを知って、父に距離を置き、そして、再び父に敬意や感謝を払い直すと言う、典型的な父子関係の変化を通ったのです。

朝鮮半島の鉱山で、鉱山技師として働いたことのある父は、朝鮮の社会や人や習慣について、一言の悪口や軽蔑や批判を聞いたことがありませんでした。良い印象しかなかった様です。「アリラン」を懐かしそうに歌う父でしたから、良い出会いや交わりがあったのでしょう。

日本の官憲が、戦後、大韓民国の初代の大統領に就任する李承晩氏を、戦前に何をしたのかと言うのが、聞いた話なのです。独立運動の指導者でもあった李承晩氏に、酷い拷問をかけたと言う話です。それは、全ての手指の生爪を剥がすと言った、肉体的な虐待を受けたと言うのです。深爪をして痛い思いをしていた私には、それを聞いて身がすくむ思いがしました。

取調室で、そう言ったことが罷り通っていた時代だったのでしょうか。犯罪者、とくに思想犯に対して、痛さを加えて自白させたり、情報を引き出そうと言う尋問を受けた人が多かったのです。また旧軍隊の内務班でも、上級兵が新兵や下級兵を、懲罰や焼を入れるとの理由で、ビンタや、肉体的拷問を加えています。

旧ソヴィエット連邦のブレジネフという書記長をした男は、この拷問の専門職の過去があったのだったと、記録文書の中に読んだことがありました。絶対体制を維持するために、非協力者や反対者や騒擾を犯そうとする者に対しては、何でもすることがあったのでしょうか。

そんな時代を知らないと、私には言えません。集団ビンタや、長距離走や、いわゆる、運動部の〈やき〉を受けたことがあるのです。そして、下級生に〈やき〉を入れた経験もあります。実に恥ずかしい過去です。会って、『ごめんなさい!』と言いたいほどです。そんなことが受け継がれてきていたのです。この21世紀には、決してあって欲しくないことです。

(大韓民国の国花の「木槿(むくげ)」です)

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