夕顔の里

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栃木県に住んで、7ヶ月になろうとしています。思いもよらず、県民、市民になった私は、《家内を支える》を、今為すべきことと決めて、これこそ、一生の総仕上げの任務として、友人や兄弟、子どもたちに激励され、助けられてつとめているところです。

忙(せわ)しさから解放され、ゆっくりと流れている巴波川の様に、過ぎゆく時を過ごしています。黒土だった田んぼが起こされ、そこに植えられた苗が、ずんずんと背丈を伸ばして、青々と成長しています。この地で採れた野菜を、農協の即売所に買い出しに行き、〈地産地消〉を原則に、県産品に拘りながら、料理も、皿洗いも、今までしてくれた家内へのお返しでしております。

住まいも、友人夫妻の愛と配慮とで備えられ、故障していた空調も、お見舞いの志で取り替えることができ、水道水の浄水器も息子に買ってもらい、その水を飲み水にしています。家内の回復を助けようと、良質な食材を見つけては、カラスの様に運んでくださる友人がいます。

窓の下に植えた朝顔も、東京の友人が見舞いにくださったプリンセス・ダイアナ、鉢植えで買った日々草もマリーゴールドも、先日買ったハイビスカス、一昨日買ったホットリップス、息子にもらった種で植えたコスモス、とても賑やかに散ったり咲いたりしています。

息子と友人の送迎で、病院も通院し、先週、第6回目のキイトルーダの投薬を終えて、3週間後の通院で、待機しています。家内は辛い闘病を、そのまま感謝して受けて、愛読書を読んだり、ハガキで感謝状を書いたり、遠近の友人知人を遥かに覚えたり、ピアノを弾き、歌い、車椅子で外出し、そこから降りて公園を散歩し、心と体のリハビリに励んでおります。時には、友人夫妻が連れ出してくれ、隣の足利に遠出もさせていただいたりしています。多くのみなさんの激励と支えに感謝でいっぱいです。

家内が入院し、今通院している獨協医科大学病院は、ここ栃木と県庁所在地の宇都宮の間に位置する、「壬生(みぶ)町」にあります。戦国時代には、壬生氏の所領でした。江戸期には、日根野、阿部、三浦、松平、加藤、鳥居の各氏が治めて、明治の廃藩置県で、「壬生県」になっています。そして、栃木県に吸収されて、今日に至っているそうです。
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ここに面白い逸話が残されています。幕末の長州藩の高杉晋作が、この壬生の城下町を訪ねているのです。江戸で剣術の修行をした晋作は、腕試しにでしょうか、壬生城下町の剣術道場で、地元の剣士・松本五郎兵衛(神道無念流)に何度も試合で挑んでも、一本も取れずに、その全ての試合に敗れています。それは若き晋作には、衝撃的な経験であったそうです。このことは黙して語らずだった様です。

そうしますと、柳生新陰流の免許皆伝の剣士(神道無念流も修行したそうです)を打ち負かした強者の子孫や親族が、東武日光線に同乗しているかも知れないとか、病院のロビーですれ違っているかも知れないと思うと、楽しくなってしまいそうです。若い日に、高杉晋作の生き方に感動させられた私には、くすぐったい様な逸話です。

(壬生町花の「夕顔の花」、下野壬生城の城郭です)
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