手を開く

 

 

イスラエル民族に、次の様な掟があります。

「国のうちにいるあなたの兄弟の・・・貧しい者に、必ずあなたの手を開かなければならない。(申命記15章11節)」

人は、様々な理由で貧しくなり、貧しくされます。小学校の同級生に、Nくんがいました。年齢は2才上でしたが、就学時期が遅れて、同級でした。同年齢の弟は二級下にいました。この二人は、寄り添う様に登校して来たのですが、雨の日には、破れた番傘を二人でさしていました。やがて休む様になったのです。雨傘が使えなくなったからです。それに彼らの家を、近所の悪戯小僧たちが、〈オランダ屋敷〉と呼んでいました。

「赤い花なら曼珠沙華・・・」で始まる「長崎物語」は昭和14年の作曲でしたが、人気があったのか、昭和30年代頃まで歌われてました。この歌は、作詞が梅木三郎、作曲が佐々木俊一でした。よくラジオから流れていました。

1 赤い花なら 曼珠沙華(マンジュシャゲ)
阿蘭陀(オランダ)屋敷に 雨が降る
濡れて泣いてる じゃがたらお春
未練な出船の あゝ鐘が鳴る
ララ鐘が鳴る

2  うつす月影 彩玻璃(いろガラス)
父は異国の 人ゆえに
金の十字架 心に抱けど
乙女盛りを あゝ曇り勝ち
ララ曇り勝ち

3  坂の長崎 石畳
南京煙火(はなび)に 日が暮れて
そぞろ恋しい 出島の沖に
母の精霊が あゝ流れ行く
ララ流れ行く

4  平戸離れて 幾百里
つづる文さえ つくものを
なぜに帰らぬ じゃがたらお春
サンタクルスの あゝ鐘が鳴る
ララ鐘が鳴る

一番の歌詞に、「阿蘭陀(オランダ)屋敷に 雨が降る」とありましたので、〈雨漏りのする家」という意味で、ボロ長屋に住んでいたから、からかいの意味でそう言っていました。私の生涯に出会った方の中では、このNくんが一番貧しかったのです。悪戯をして、彼も含めて4、5人で立たされた時、私の提案で、ポケットの小銭を出し合って、〈Nくんのカンパ(援助)〉をしたのです。

 国民同士の連帯感の強さは、イスラエルが筆頭でしょうか。それは、「掟」で、《弱者救済》を民族として定めて、実行して来たからです。今はどういう割合か知りませんが、世界の食糧事情は、三分の一が〈丁度よく〉、三分の一が〈有りあまり〉、三分の一が〈貧困〉だと言われていました。21世紀の今も、そう変わりがなさそうです。

 申命記のみことばの「手を開く」は、英語では、“Thou shalt open thine hand wide unto thy brother,to thy poor,”と訳されています。『持ち物や財産を握り締めていてはいけない!』という意味なのでしょう。『周りにいる社会的弱者と共に生きよう!』という命令なのです。

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