輝き

 

 

「化外」と言う言葉があります。「かがい」と読みます。かつての中国は、「中原」という中心地以外を、 「化外」としたのです。さらに、そこを「四夷(東夷〈とうい〉、北狄〈ほくてき〉、西戎〈せいじゅう〉、南蛮〈なんばん〉)」と呼んで、蛮族の扱いをしました。

若い学者の柳原恵が、「〈化外〉のフェミニズムー岩手・麗ら舎読書会のおなごたち」という著書で、書名に使っている言葉です。社会的な立場の弱い女性が、まるで遠くに追いやられた民のように、「化外」に置かれているという少々自嘲的な言い回しです。

私は、母と家内、私を教えてくださった内山先生、宇津木先生、佐藤先生、同級生たちを見て、接してきて、女性が「化外」の人などとは思ってきたことがありません。一人の人として、立派に生きておいででした。

高校で教えていた時に、3年生の「ゼミ」の授業で、「青踏社(せいとうしゃ)」の動きを高校生たちと調べたことがありました。その働きの中心にいたのが、明治、大正、昭和を生きた平塚雷鳥(1887~1971年))でした。女権を主張し、新しい女性の生き方をし始めたのですが、22歳で心中事件を起こしたり、事実婚であったり、旧来の「女性の枠」を超えられない生き方をしていた女性でした。

『原始女性は太陽であった!』を掲げながらも、恋や愛に流されて、ついには傷ついてしまう、そんな女権主張者の印象が、この方に強すぎて、デボラやルツやプリスキラやルデヤのようではなかったのは残念なことでした。世に、何も訴えようとしなくとも、一人の夫の妻として、子たちの母として、精一杯に、平凡に生きた女性の方が、さらに輝いているのを実感したのです。

不平不満を口にしない、人の悪口を言わない、噂話をしない、これが母と家内に共通しているのです。それが、どんなに素晴らしい「女性観」を、自分に形作ったか知れません。「相応しい助け手」、なんと凄い存在と務めを、女性は得ているのでしょうか。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください