秋の陽

 

 

秋の陽を浴びて、朝顔が輝いて咲いています。やっと、涼風が吹き込んできて、ホッと一息と言った感じがしてきます。次女が検査をした結果を知らせてきました。これもホットしたのですが、生きるって、様々な問題や課題と直面しては、慌てたり、覚悟したり、任せたり、また喜んだり、悲喜交々(こみごも)、繰り返しですね。長女の主人が、酷い脱臼で、要手術です。

咲いている朝顔だって、色んな場面に出会っているのですが、何も文句を言わないで、種を蒔いてくれた主人に向かって、いえ天に向かって咲いているのでしょう。子育て中のお母さんが、今朝やって来らこられました。子どもだって、生きにくいこの世の中で、不協和音を出したり、渋ったりしたいに違いありません。子育てを終えた私たちには、過去のことが、このお母さんには今日の現実です。

子のこと、子の父親のことを思って上げて、一緒に悩んで、または泣いて上げる母と妻なのでしょうか。そして親は、<親となる>のかも知れません。<来た道>を振り返ってみて、万事有益の思いのする、秋の午後です。

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