よく、『あの方は心のある人だ!』と言います。その方の生き方が、愛とか親切とか優しさに溢れていて、善人や義人なので、そう言った表現をします。そうでない人は、『心の欠けた人!』と言ったりします。ユダヤの格言に、『顔が、水に映る顔と同じように、人の心は、その人に映る。』とあります。人の心にあることは、顔にも生活にも雰囲気にも現れてしまい、隠したり、誤魔化しができないので、そう言うのでしょうか。一体、人には、どんな「心」があるのでしょうか。

「向上心」 今よりも、少しでも、好くなろうとする思いです。これは年を加えてきた今でも、忘れまいとして、心がけております。`

「克己心」 自分の内にある<可能性>を信じて、昨日よりも今日、今日よりも明日に、自分を高めたいとする思いです。なぜなら自分の<弱さ>が、やっと分かり始めてきたからです。

「向学心」 どなたでしたか、ある文学作品を、原典で読もうと決心して、老境に達しながらも、その言語を、新しく学習し始めた人の話を聞いたことがあります。また老学者が、若い学徒に、『最近、やっと分かり始めた事が、多くあります!』と言っていました。

「執着心」 諦めないことでしょう。危機に直面した首相が、決して諦めなかったので、その国は敵の潰滅作戦に耐えて、国を守り抜く事ができたそうです。

「独立心」 謙遜は大切ですが、隷属する思いはいけません。従順は大切ですが、自分の力で立つ事もまた、人には必要です。

「競争心」  競ろうとする思いのない友情では足りません。好き競争相手としての友を持った人は、切磋琢磨されて成長します。老境に至って、その相手を眩しく見る時、好い人生だったと思い返せるに違いありません。

「自尊心」 卑下ばかりしててはいけません。それは謙遜ではなく、自己不信だからです。自分が、どんなに尊い存在であるかを知ったら、自分を大切に保とうとするからです。

「好奇心」 人、物、機会など、新しく出会うことへの関心を失ってはいけません。収容所を生き抜いた人たちの心には、新しく迎える明日への期待がありました。『ここを出られたら!』と。

「義侠心」 これは博徒の志の事ではありません。「正義」のために願い、行う原動力です。弱者を守ろうとする心意気を言ってるのでしょう。

「老婆心」 近所のおじさんやおばさんが、老婆の様な心で、bいたずらをしていると注意してくれたことが、よくありました。それで事の善悪を学べたのかも知れません。今は、他人の子への無関心が普通になっていますね。

「探究心」 どうしてエンジンのない地球が自転して、太陽の周りを動いてるのか不思議でなりませんでした。みなさんは答えを得たでしょうか。私は、分かったのです。きっと私の知りたいという思いが通じたからなのでしょう。

「競争心2」 脚が遅くて運動会が嫌いでした。それでも負けん気が強かったので、バスケットボール、ハンドボール、テニスをしてきました。でも今現在の最強の競争相手は、自分です。楽をしようとする私、欲をかこうとする私です。なかなかの強敵です。

「平常心」 時々慌ててしまうことが起こります。落ち着いていられないのです。何を食べたかを遡って思い出すといいと言われますが、なかなか思い出せません。でも上を向くことに気づきました。地上ばかり見てると、落ち着かないからです。

「愛郷心/愛国心」 魯迅は、同朋への強い思いを持った人でした。同国民が強い精神性を持つようにと、医学を捨て、文学に生きました。そう言った魯迅に共鳴するのが日本人なのだそうです。彼は、故郷や国を思う思いが強かったからだそうです。

「敵愾心(てきがいしん)」 敵に対する憤りや負けまいとする気持ちだそうです。相手への闘争心は、それが昂じてしまうと、民族間や国家間の戦争になってしまいます。<敵を愛する心>があったら、地上に争いはなくなるのですが。そんな心を持ちたいものです。

「猜疑心(さいぎしん)」 騙されるかもしれない、と人を疑う気持ち。自分が不利になるのでは、と相手を信用できない気持ちだそうです。私の父と母には、この心がなかったのです。それでよく騙されていましたが、平気でした。

「功名心(こうみょうしん)」 立身出世、名を上げ、身を立てる思いのことでしょうか。自分の生涯に欠けていたものです。でも、これで好かったと思います。低い所にいると、倒れても軽い怪我で済む様です。誰にも覚えてもらえなくても好いのです。自分が走るべき行程を走りきれば、それで好いに違いありません。

「射幸心(しゃこうしん)」 まぐれ当たりによる利益を願う気持ちのことだそうです。失敗の多い人生でしたが、人生に、運の良し悪しがあるとは思って生きてきませんでした。怪我をしたのだって、運が悪かったのではなく、不注意だったり、慌てたりしていたからに違いありません。人生は、サイコロやトランプカードの目の様に、良い悪いで、決まらないのです。一回きりの人生を、悔いなく生きたいだけです。

「虚栄心」   自分をよりよく見せようと、見栄(みえ)を張りたがる 心のことだそうです。自分の周りにある物を、見回すと、金銭的な価値のあるものは、全くありません。ただ、愛の籠った頂き物があります。精神的な価値のことでしょうか。持ち物の誇り、暮らし向きの自慢ができる物や人脈やタイトルや称号がないのは、身軽で好いものです。痩せ我慢でしょうか。

「依頼心」 人に頼ろうとしてやまない思いのことでしょう。これまで多くの人に助けられ、励まされ、強められて生きてきました。でも、彼らの持ち物や立場にすがろうとする思いはありませんでした。また自分を頼ってきた人には、貸したり、上げたりしてきました。特にお金を借りに来た人には、私に借金をして私の奴隷にならない様に、差し上げてきました。私には、信頼するお方がいるからです。

自分の心が、生き方に反映されると言うのは、ちょっと怖いことですね。でも正直に生きているなら、人生のどこを切られても、その切り口は、非難されることはないのでしょう。ユダヤの格言に、『力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。 』とあります。自分の心は、見張り、見守る必要があるのですね。

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