惜しまれつつ

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新宿の伊勢丹の近くの路地に、寄席(よせ)がありました。いえ、今もあります。そこは「末廣亭」と言い、上の兄が、中学生の頃、英語教師に誘われて、この寄席に連れて行かれていました。帰って来ると、その自慢話を聞かされたのです。よく“猿真似”と言いますが、“兄真似”をする傾向が、弟にはあって、それでけっこう強い関心を、落語に持つ様になったのです。

『神宮で、早稲田と慶応の試合があるってねえ!』『そうけえ!』とか、『隣に塀ができたってねえ!』『へー!』と言った話をしていたのを聞いて、子ども心に面白いと思ったのです。学校に行くと、みんなの前でやったりしていました。子どもの頃には、ラジオで、落語や漫才や浪曲を、よく放送していました。食事が終わった後に、それをよく聞いたのです。

この歌謡曲、落語、漫才、浪曲、ラジオ小説などが、当時の国民的娯楽でした。テレビが出て来る前のことで、それで言葉を覚え、意味が分からないと兄たちに聞いていました。そんなで、都内の学校に通う様になって、新宿に下車して、この「末廣亭」に、“兄真似“で、出掛けたのです。女友達も連れて行ったことがありました。その初めての経験が嬉しかったようで、彼女は親に話した様でした。

その頃の高座で、だれが噺(はな)していたのか、名前も題も記憶がありませんが、客につられて笑っていたのです。こちらでの教え子が、東京に、友人たちと旅行をして、この「寄席」に行って、『とても楽しかったんです!』と印象を語ってくれたことがありました。落語の面白さを理解できるなら、相当の日本語通になりますが、けっこう分かったのだそうです。

やはり上手な噺家は、古今亭志ん生、その息子の古今亭志ん朝、その兄の金原亭馬生、それに柳家小さん、三遊亭圓生だったでしょうか。小学生の頃にラジオを聞いて、笑い転げたのが三遊亭金馬でした。小学生をお腹が痛くなる様に笑わせたのですから、すごい落語家だったことになります。痴楽や歌奴も談志も面白かったですね。

昨日、「笑点」のメンバーで、後に司会をしていた、桂歌丸師匠が亡くなられたと報じていました。江戸落語の上手な噺家で、実に歯切れの良い、聡明な言葉遣いで、間の取り方がうまい噺家でした。日本文化の一つとして、この方が、江戸落語の面白さを伝えた貢献は大きいと思います。長い噺を、しっかり覚えて演じる能力には、驚かされます。そのためには、ものすごい努力、稽古(けいこ)があったのでしょう。

あの夏目漱石は、日本語を作った一人と言われますが、寄席通いをして、そこで多くのヒントを得て、創作に励んだそうです。漱石は、初代の三遊亭圓朝を贔屓(ひいき)にしていたそうです。存在感の強い方が召され、大変惜しまれます。

(歌丸師匠の出生地の横浜市の市花「バラ(イングリット・バーグマンという種類)」です)

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