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一世を風靡した歌に、「上を向いて歩こう」があります。御巣鷹山に墜落してしまった、「日航123便」に乗っていて、事故死された坂本九が歌っていた歌です。ニキビが酷かったのでしょうか、デコボコした顔が印象深かったのですが、いつも微笑んでいて、「好漢」でした。可愛い奥さんとの間に、お嬢さんが二人いたでしょうか。父母と一緒に住んだ街の隣にある川崎の人でした。もし存命でしたら、すぐ上の兄と同学年ですから、今年77歳になります。

この「九ちゃん」が歌った歌は、「六」の名のついた永六輔の作詞、「八」が名についた中村八大の作曲でした。アメリカでは、「Sukiyaki Song」と言う題で歌われ、人気を博したのです。この作詞をした背景を、永六輔が語っています。1960年は、「日米安保条約」の条約改定に反対する学生や労働者のデモが激しく行われている時、永六輔も反対の立場をとったのです。しかし、反対運動は押し切られて、条約締結に至ってしまいます。

その言い知れぬ敗北感の中から、仲間たちから除け者にされた中で、この詩、歌が生まれたのだそうです。

上を向いて 歩こう
涙が こぼれないように
思い出す春の日 一人ぽっちの夜

上を向いて歩こう
にじんだ 星をかぞえて
思い出す夏の日 一人ぽっちの夜

幸せは 雲の上に
幸せは 空の上に

上を向いて 歩こう
涙が こぼれないように
泣きながら歩く 一人ぽっちの夜

思い出す秋の日 一人ぽっちの夜

悲しみは 星のかげに
悲しみは 月のかげに

上を向いて 歩こう
涙が こぼれないように
泣きながら歩く 一人ぽっちの夜

一人ぽっちの夜
一人ぽっちの夜

これを歌った坂本九の性格が明るかったので、作詞者の敗北感を敗走させて、明日に希望をつなげて生きて行きたくなる様な、人生の後押しをする<応援歌>になったのです。でも下を向いて歩いていた息子が、一万円札を拾ったことがありました。交番に届けて、半年後にお小遣いができたこともあったのです。時には下を向いて歩くのも好いかも知れません。

それにしても、「悲しさ」、「惨めさ」、「つらさ」、「哀れさ・と言った感情を、日本人は、特に好む様です。でも、どんな困難や悲嘆でも、笑って超えてきた精神風土が培われているのでしょう。それで、歌曲や演劇などに芸能が、日本では発達してきた様です。

(”wm”による「川崎宿(歌川広重『東海道五十三次』より)」です)
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