東京ラプソディー

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1936年(昭和11年)に、当時の東京の繁華街を歌い込んだ、「東京ラプソディー」が流行ったそうです。父が二十代、母が十代の頃になります。門田ゆたかの作曲、古賀政男の作曲で、藤山一郎が歌いました。

1 花咲き花散る宵も
銀座の柳の下で
待つは君ひとり 君ひとり
逢えば行く ティールーム
楽し都 恋の都
夢のパラダイスよ 花の東京

2 現(うつつ)に夢見る君の
神田は想い出の街
いまもこの胸に この胸に
ニコライの 鐘も鳴る
楽し都 恋の都
夢のパラダイスよ 花の東京

3 明けても暮れても歌う
ジャズの浅草行けば
恋の踊り子の 踊り子の
ほくろさえ 忘られぬ
楽し都 恋の都
夢のパラダイスよ 花の東京

4 夜更けにひととき寄せて
なまめく新宿駅の
あの娘(こ)はダンサーか ダンサーか
気にかかる あの指輪
楽し都 恋の都
夢のパラダイスよ 花の東京

5 花咲く都に住んで
変わらぬ誓いを交わす
変わる東京の 屋根の下
咲く花も 赤い薔薇
楽し都 恋の都
夢のパラダイスよ 花の東京
楽し都 恋の都
夢のパラダイスよ 花の東京

銀座は、何と言っても、日本の流行の先端を行く華やかさを持った街で、昔も今も日本一の街です。これに倣って、地方都市の一番繁華な辺りを、「◯◯銀座」と呼んで、人を集めるようになっていました。神田は、その周辺に大学や女子大や専門学校などが多く、<学問の府>と言えるでしょうか。学生たちの向学心や青春が渦巻いていた街でした。浅草は、映画や演劇の娯楽の街で、週末は人で溢れかえっていたそうです。そして新宿は、もともとは 甲州街道の宿場町でしたが、昭和初期に、ボツボツ人気の出て来た新興の街だったようです。

父は横須賀生まれでしたが、大森(羽田空港の近く)から、旧制中学に通っていて、東京の空気を吸って生きていたようです。母は出雲の出身ですから、はるか に憧れの目と心を、この東京に向けていたのでしょう。北京にも上海にも、私たちが住んでいるこの街にも、人気と伝統のある街があります。どうも、ここでは日本のように、都市や繁華街を歌で歌うようなことはないようです。

「池袋・・・」とか「長崎・・・」とか、その町の思い出や特徴を歌い込んだ歌は、日本独自のものなのでしょうか。この日本人の手にかかると、「サンフランシスコ」も「パリ」も「上海」も、「釜山」でさえも歌で歌ってしまうのですね。「思想」も「演説」も、歌で主張する歴史がありました。

「わらべ歌」や「童謡」や「唱歌」も日本の文化であり,独特な日本人の心の動きや表現なのでしょうか。先月、二人の小学生の女の子が、手のひらをパンパンと触れ合いながら、無言で遊んでいました。それを眺めていた私は、『日本にも同じ遊びがあるんだ。だけど、歌を歌いながらするんだよ!』と言って、『せっせせのよいよいよい、夏も・・・』と歌って上げたら、不思議そうにしていました。こう言った遊びの違いや共通性を調べたら面白そうですね。

(写真は、”WM”による富士山を望む「東京」です)

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