一時の慰めの開花が

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 一陣の風、一介の人間、一回きりの人生などと言いますが、今夏、盛りだくさんに咲くことなく、一輪一輪と朝顔が咲いて、それでも酷暑の日を迎える朝、一時の慰めを感じさせてくれるのです。

 それでも、この未曾有の暑さも、一週一週、一日一日、秋に向かっているのは確かです。巡り巡って、紅葉だって、蒸かし芋だって、オデンだって食べて美味しい季節がやってきます。もうしばらく、台風にも、大雨にも、猛暑にも、我慢が必要のようです。

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こんなことのあった昔に

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My beautiful picture

 

 「戦場のピアニスト」の映画を見た時に、衝撃的だったことは、ホロコーストの過酷さ、そうせたナチスの残忍さ、ここまで堕ちるかの人間の罪だったのです。それは、戦争という悲劇、独裁者の狂気でありました。そんな時代に、主人公のスピルマンが、ドイツ軍の将校の要請で、ピアノを演奏した後に、そのご褒美ででしょうか、食べ物運んでもらう場面があったのです。それを貪るように食べる様子は、私には圧巻でした。どんなに人の善意に触れて、心にも胃袋にも美味しかったことでしょうか。

 ユダヤ人であるが故に、ゲットーに幽閉され、両親や兄妹は収容所送りにされて、ナチス崩壊後に知るのですが、家族全員が殺されてしまっていたのです。彼は、そのゲシュタポの手から巧みに逃れ、生き延びます。同情して助けてくれる、何人もの人と出会って、考えられない様な方法で匿(かくま)われるのです。

 戦争の終盤の時期に、廃墟となった瓦礫の中で、食べ物を探し回り、やっと缶詰を見つけます。でも、缶切りがなければ開けられません。そんなことをしている間に、一人のドイツ軍将校に見付けられてしまうのです。職業を聞かれた彼は、『ピアニストです。』と答えると、演奏するように言われて、2年ぶりにピアノの前に座って、躊躇しながら、ショパンの作曲の「バラード第1番 」を弾きました。

※演奏

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Frederic_Chopin_-_ballade_no._1_in_g_minor,_op._23.ogg

 ご子息のお話ですと、実際は、20番だったそうです。映画のこの場面は、実に感動的でしたし、戦争が終わって、解放をを大喜びする場面も素敵なのですが、その将校が、手にライ麦パンとジャムと缶切りを持って再訪するのです。それを貪るようにして食べる様子が、強烈でした。人にとっての苦痛の一つは、「空腹」とか「飢餓」ではないでしょうか。

 四字熟語に、「同病相憐(どうびょうそうれん/同病相憐む)」があります。その意味は、『同じ病気に苦しむ人々が、互いに同情し合うこと。また広く、同じ境遇で苦しむ者同士は、互いになぐさめ合うことをいう。』と、goo辞書にあります。同じ境遇で、同じような経験をさせられると、共感を覚えて、近しい連帯みたいな思いにさせられます。

 同じような経験はしないでも、相手の痛みや苦しみを、自分のことのように思って、同情する人もおいでです。後になって、この将校の名が、ホーゼンフェルト大尉であって、ナチスではなく、ドイツ国軍の将校でした。逃亡ユダヤ人のスピルマンに、彼は敬語で話しかけているのです。日本語字幕には訳出されていません。戦後に生まれる、ご子息の著した、「シュピルマンの時計(小学館2003年刊行)」に、そうありました。

 自分は、原因を忘れてしまいましたが、小学生の頃に、父にこっぴどく叱られて、家に上がらせてもらうことができませんでした。夕方、遊び疲れ、それで腹ペコでした。夕食を食べられずに、家を出されたのです。家の周りをウロウロしてると、勝手口から、母が呼んでくれました。丼にご飯、その上に味噌をのせてくれたのを、三和土(たたき)の上に膝をついて、もちろん父の目を盗んで貪り食べたのです。

 あの夕飯ほど美味しく食べた記憶はないのです。それで。丘の林の中に入って、枯れ草を集めて床にし、野天で、お腹はいっぱいになっていても、涙ながらに寝たのです。どう許されたか覚えていません。そんな父でしたが、渋谷に連れ出してくれて、ロシア料理店で食べた子牛のシチュウも、黒パンも美味しかったのです。その父に叱られて、そっと差し出してくれた母の味噌飯が、記憶の中の一番のご馳走なのです。

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 だから、家族全員を失った、孤独のスピルマンの空腹が、自分にには理解でき、共感したのです。ワルシャワの放送局の専属ピアニストだった彼が、ユダヤ人狩りで、思いもしなかった日々を送る中、『発狂せずにいれたのは、苦境の中で、口ずさみ、指で鍵盤を叩く仕草をしたことだった!』と語る父の言葉を、その著作に、ご子息のクリストファーは記しています。

 人間性や尊厳を保ち得た事実を、スピルマンの内に流れる、ユダヤ人の血でしょうか、歴史を支配される神、その神に選ばれた民族の強さ、高貴さを感じるのです。ご子息が、私たちが住んでいた街の隣町で、講演をされて、家内と高校生の姉妹と一緒に聴きに行きました。もう数十年も前のことになります。夏が来ると思い出す、もう一つ二つの出来事なのです。

(ウイキペディアによるワルシャワのユダ人ゲットー、クリストファーの著作です) 

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