《頭を丸める》というのは、謝罪とか反省のしるしだとされていているようです。長髪を切ってボウズ頭になることですが、実は、2005年の春に、腱板断裂の怪我をして入院手術を受けたときに、この丸刈り頭にしてしまいした。それ以来、電気バリカンを買った私は、自分で髪の毛を切りながら、ずっと坊主頭を続けております。整髪料は要らないし、汗をかいたらすぐに拭けるし、洗髪も楽です。別に何か悪いことをして反省したわけではありませんが、嫌っていた家内も、見慣れたのか、今ではもう何も言わなくなりました。
先週末、散髪をしました。きれいに刈れたのだと悦に入っていましたが、翌日、頭のてっぺんの左側の髪をつまんでみますと、そこだけ長い《虎刈り》でした。それに気付かなかった私は、月曜日に、そのままで学校の4コマの授業に出かけてしまいました。後ろ向きになって板書をするとき、学生たちには、私の左後頭部のいただきの《虎》には、気づかなかったのか、何も言われませんでした。これに気付いたその晩、きれいに掃除してしまったバリカンを取り出して、もう一度丁寧に髪を切り直したのです。頭の後ろには目がないのは不便なものだと思わされました。
先日、知人が東南アジアを回って、香港を経由してわが町にやって来ました。大きなリュックを背負って遠距離バスに乗ってでした。会いたくなって訪ねてきてくれたのです。その日の夜9時過ぎの始発で、16時間もかかる汽車に乗って香港に帰って行きました。この彼が高校の2年間、我が家で、家族の一員として生活したのです。名門の高校に通い、ラグビー部に籍を置いていたのですが、少々問題がって私がお世話することになったのです。その彼が、問題を起こして一週間の停学処分になりました。学校のきまりで、《頭を丸める処罰》を受けたのです。その彼と同じようになってあげたくて、自分も、当時、まだフサフサだった髪を切って《ボウズ》になったのです。そうしましたら、それを聞いた級友たちやクラブの仲間が、『どんなおじさんだろう?』と興味津々、我が家に大挙してやってきたのです。それ以来の付き合いですから、30年以上になるでしょうか。
実は、5年前の《丸刈り頭》の決行には1つの理由がありました。人と会ったり、人の前で話をしなければならないことが多かったのですが、意を決して、決行したのです。私の病室に、同じ年の同じ月に生まれ、幼少期を同じ山里の沢違いで育った◯人さんが、坊主刈りになったのです。事故にあって歩けないばかりか、右手は効かず、左手だけが不十分ですが使えるような情況でした。そんな彼の配膳や片付けを、歩けて左手は使える私は、お手伝いをしていたのです。『同病相哀れむ』だけではなく、何か近いものを感じた私は、病友の彼に友情を感じたのです。その彼がきれいに散髪したときに、『僕も!』と看護師さんにお願いして、切ってもらったのです。それを知った長女が、『◯人さんのせいで、お父さんがボウズになったんだから、どうしてくれるの?』と、冗談半分の抗議をしたのです。彼は苦笑いをしていました。
それ以来の坊主頭に、私は満足です。ある方が、中国に行こうとしていた私に、『日本兵を彷彿とさせるからやめた方はいい!』と言ってくれましたが、そのような心配がなく、5年目の北風が吹き始めましたが、帽子をかぶりますと、まったく問題はありません。そんなことを思っていましたら、杜甫の詠んだ「春望」を思い出してしまったのです。
国破山河在 国破れて山河在り
城春草木深 城春にして草木深し
感時花濺涙 時に感じては花にも涙を濺ぎ
恨別鳥驚心 別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
烽火連三月 烽火 三月に連なり
家書抵万金 家書 万金に抵る
白頭掻更短 白頭 掻けば更に短く
渾欲不勝簪 渾て簪に勝えざらんと欲す
中学1年で学んだ時には、まったく分からなかった、この『白髪頭は薄くなって、カンザシを付けるのに、もう充分な髪がないほどの年齢になってしまった!』、杜甫の気持ちですが、今まさに、それが分かるだけではなく、実感している、中国の初冬であります。
(写真は、詩聖「杜甫」です)