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『それは、主が、悩みの日に私を隠れ場に隠し、その幕屋のひそかな所に私をかくまい、岩の上に私を上げてくださるからだ。 (詩篇27篇5節)』
『あなたは彼らを人のそしりから、あなたのおられるひそかな所にかくまい、舌の争いから、隠れ場に隠されます。 (31篇20節)』
『あなたは私の隠れ場、あなたはから苦しみから私を守り、救いの歓声で、私を囲まれます。セラ(詩篇31篇20節)』
隠れ家、秘密基地、逃れ場(英語ですとmy shelter、my refuge and my portion in the land of the living 、hiding place などでしょうか)、言いたいのは、《ホッと一息つける空間》のことです。聖書の中に「セラ」と言うことばが、とくに詩篇の中にありますが、「小休止」の意味だと教わりました。すぐ上の兄が、押入れの中に、その秘密基地(?)を作っていて、自分も真似して、別の部屋の押し入れを開拓したことがありました。
近所の遊び仲間と、林の中の木の間に、葉っぱや草や枝で基地を作ったり、空き地に穴を掘ったりして、自分たち専用の空間も、よく作りました。まさに秘密基地でした。きっと、雪国の「かまくら」も、そんな空間だったのでしょうか。空き家にも入って、そんな遊びをしたこともありました。
日常から離れて、ボーッとしたい時や場所を、どなたも持ちたいのではないでしょうか。家内は、「蔵リハ」と呼ぶ介護施設に、1週間に1日、2時間の時を、七人、八人の同世代のご婦人との交わりに通って、帰って来ては、『ああ、楽しかった!』と、毎回言っています。
一昨日は、スダチを手にして家内が帰ってきました。ちょうど夕食の献立が、〈メカジキの餡かけ〉でしたので、半分に切って、それに添えてみました。格段に美味だったのです。group 内での物のやり取りは禁止なのだそうですが、『庭にできたので!』と言って頂いたそうです。
彼女のもう一つの出掛け先は、「市立図書館」なのです。最近は杖も使わないで大丈夫になって、出掛け先の路上で、推しぐるまの老婦人に、『どうして杖や押し車で歩かないの!転倒したら大怪我をするので、気をつけて!』と言われたそうです。散歩で出会う、散歩仲間からです。
私のは、ちょっとお金がかかるのですが、この写真の空間を持っている喫茶店がお気に入りで、たった一人の世界ではないのですが、二人掛けの簡易 sofa に、深く座って、その日その日の coffee を飲むのを、月にニ、三度ほどしているのです。あの空間とあのひと時は、今の《わたし固有の空間》、《秘密基地》、《隠れ場》なのでしょうか。
家に居づらいことなどないのですが、気分転換には、とてもいいのです。日常から、そっと離れて、散歩途中に、その時間を設け始めて3ヶ月ほどになるでしょうか。《一杯三百円珈琲》は、心の潤滑油になっているかも知れません。《本日のコーヒー》が美味しいのです。
コロナ禍のお陰で〈黙浴〉を促されている、入浴温泉が市内にあって、ここにも時々出かけています。誰とも話すことなく、雲や木々の葉っぱや湯の動きを眺めながら、子どもたちや兄弟たちや友人たちを思いながら、また過去を振り替えながら過ごすひと時も、かけがえのないものになっています。
〈子ども帰り〉なのかも知れませんが、課せられた仕事を終えた今、と言っても、でも継続していて小休止か、見えない勤務についているのかも知れませんが、これまでのthrilling な経験も、出張も、訪問なども少なくなって、けっこう狭い世界の中にいるのでしょう。それでも年齢なり、社会的な立場から、けっこう変化を持たせて生きているのでしょう。とても感謝なことです。
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