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同じ牧師のお話です。
『昔、私の牧する教会に、Nという老人がいました。私はNさんを好みませんでした。むこうも同様に私を好いてはくれませんでした。親子ほど歳の違う牧師と会員の関係は複雑にして微妙で・・・(役員会で)あわや茶碗が飛ぶかと思われる場面が二度三度。
役員会を土曜の夜にした時などみじめでした。次の日が日曜です。「Nさんがどうか休んでくれるように!」と何度願ったかしれません。ところが休むどころか日曜の朝になると、定刻きっちり定席に座っているではないですか。
私は砂をかむような思いで説教しました。Nさんは献金を集め、すばらしい祈りをしました。私は「負けた!」と思いました。Nさんは、説教者が説教職として召されていることの重さを、しっかりと受けとめていたのです。説教者が気にくわんといって、礼拝をボイコットするようなことをしませんでした。
Nさんはなかなかのサムライでした。Nさんは、講壇に立つ説教者の中に、年齢、経歴、個性、それらを見ませんでした。見つめるべきは《神の主権》であり、行うべきは《みことばへの聴従》であるとわきまえていたのです。この堂々たるふるまい。みことばの支配の厳粛さに打たれた私は、説教者が育てられるとは、「これだったか!」と、しみじみ思った次第です。(中略)
説教が大切だ、と言われるわりには、語る者も聞く者も、それを大事にしていない。いったい説教が《いのち》にならぬ理由と原因はなにか。そのへんをとことん考えてみることから、教会の再建は始まります。もちろん前進もそこにはあります。』
この方は、『教会のいのちは説教である!』と言うのです。私たちの教会を導いてくださった宣教師のみなさんは、まさにそのように教会を建て上げておられました。無駄な例話はしません。面白おかしく話しませんでした。
なぜなら、会衆は「いのち」を求めて教会にやって来られるからです。くつろぎや笑いはいりません。それは他に求めることができるからです。キリストの教会は、赦し受け入れてくださった神の前に出て、賛美し、十字架の贖いに感謝して、聖餐に預かる神の家なのです。ジュネーブ教会のカルヴァンは、『かくして見ゆる教会は、われわれの視野に、はっきり浮かび上がってくる.なぜならば、神のみことばが、純粋に説教され、聞かされ、聖礼典がキリストの制定に従って執り行われるところ、どこにおいても神の教会が存在することは、疑うべからざることである。』と言いました。
お隣の国で、私が説教をする時、借家の大広間の集会場の前から二列目に座って、いつも、じっと耳を傾ける青年がいました。故郷から出て来られて、近くのモールの料理店でコックのお仕事を修行されていて、礼拝が終わると出勤していました。《主に聴く》ことをされていてた方でした。私たちの帰国後、故郷に帰られたそうです。彼ほどの聞き手に会ったことは、これまでありません。
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