北里柴三郎

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新しい紙幣が、2023年に発行されるそうです。一万円札は渋沢栄一、五千円札は津田梅子、千円札は北里柴三郎の肖像が決められています。渋沢は埼玉県深谷市の農家、津田は新宿在住の幕臣、北里は熊本県小国町の庄屋の出身で、それぞれ、素晴らしく社会貢献を果たした人たちでした。

病弱だった私は、医学の助けを受けて、助かったのだと母に言われてきました。『今度肺炎になったら死んでしまいます!』と医師に言われ、咳や熱やだるさがあると、学校を休んで、隣町の国立病院に、母に連れて行かれて診察してもらいに行ったのです。

帰りに、粉薬と水薬をもらって、駅の近くの売店で、アメリカ製のガムやキャラメルやレーズンを買ってもらえて、病院通いは苦痛ではありませんでした。でも、学校に行けなかったのが、悔しかったのですが、休んで床についていると、少しでも元気になって欲しくて、リヤカーで引き売りする魚屋さんから、母が、「刺身」を買って食べさせてくれました。

病んで兄弟よりもいい目にあったので、病いとの対決意識がなく、死にそうな病に罹って治ったなら、『医者になろう!』と思ってもよいはずなのに、そんな願いを持つことはありませんでした。でも、病理学者の北里柴三郎は、尊敬できる日本の誇りだと、子ども心に思っていました。

阿蘇の麓にある、北里柴三郎の出身地の小国町には、友人に連れて行ってもらい、訪ねたことがあります。阿蘇の雄大な地形の中にある街で、青々とした牧草で溢れていました。その功績を、次の様に残しています。
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『1886(明治19)年、ベルリン大学に留学し、結核菌やコレラ菌の発見で世界的に有名なロベルト・コッホのもとで研究をはじめた北里博士は、「破傷風菌の純粋培養」に成功し、師のコッホをあっといわせました。破傷風は破傷風菌が傷口などから体内に侵入して増殖すると、細菌がつくる毒素によって、けいれんなどの症状があらわれ重症になる疾患です。当時、破傷風菌を単独で取り出して純粋培養することができず、有効な治療はありませんでした。
北里博士は破傷風菌の毒素を少しずつ動物に入れると菌の毒に対する耐性ができて、大量の毒素を注射しても発病しないことを突き止めました。この研究の成果をもとに、破傷風の血清療法を生みだし、伝染病の予防に大きく貢献しました。その後、この血清療法をジフテリアに応用するなど、免疫医療の先駆者として高い評価を受けました。(この他にも、ペスト菌の発見、慶應大学医学部や北里大学の解説にも尽力しています)』

軍人志望から、『医者の使命は病気を予防することにある」!』と思い立って、医学に目を向けて、予防医学に、生涯を捧げた78年を捧げて生きた人でした。

(熊本県阿蘇山麓の風景です)

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