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一度行ってみたいのは、「ハウステンボス」で、浦安の「デズニー・リゾート」とどう違うかを知りたいのです。「デズニーランド」だって、子どもたちが小さい頃に行ったきりで、30数年ご無沙汰ですから、全くと言うほど変わっているに違いありません。
なぜ、「ハウステンボス」に行ってえみたいのかと言いますと、実は、コースターやメリー・ゴーランドに乗りたいわけではないのです。その敷地になっている場所が、かつて、海外在住者が、敗戦を期して引揚げて来た港であり、援護局のあった場所だからです。意気揚々と、海外雄飛で出て行かれたみなさんが、戦に敗れて、着の身着のままで帰国して、祖国の土を、再び踏んだ港、佐世保の浦頭港なのです。
両親や兄たちや自分だって、大陸や朝鮮半島からの帰国の時期が遅かったら、そう言う引揚者の家族であった可能性もあったのです。浦頭の港に、中国大陸やインドシナ半島から、139万1646人の帰国者があったそうです。あの頃、よくラジオから流れていたのは、作詞が増田幸治、作曲が吉田正の「異国の丘」でした。
今日も暮れゆく 異国の丘に
友よ辛かろ 切なかろ
我慢だ待ってろ 嵐が過ぎりゃ
帰る日も来る 春が来る
今日も更けゆく 異国の丘に
夢も寒かろ 冷たかろ
泣いて笑うて 歌って耐えりゃ
望む日が来る 朝が来る
今日も昨日も 異国の丘に
おもい雪空 陽が薄い
倒れちゃならない 祖国の土に
辿りつくまで その日まで
『もう一度、祖国の土を踏みたい!』との切々たる願いを持っていながら、残念なことに、外地に捨て置かれ、異国で過ごしていた日本人が、その思いがかなって帰国した土地です。この他に、福岡の博多港、福井の舞鶴港も引き揚げの港でした。
さて、平和な平成の時代、帰国時に、上海から船に乗って、丸2日の船旅で、祖国の島影が最初に見えてくるのは五島列島なのです。長崎の平戸沖を通過し、しばらく行くと北九州が見えて来ます。門司から関門海峡を過ぎて、瀬戸内海を航行し、大阪南港に入するルートなのです。自分は、引揚者ではなく、大陸で教師をしながら、ビザの関係での帰国時に、船に乗ったのです。
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飛行機では感じられない祖国の風を、肌に感じられるので、船での帰国の感慨は一入(ひとしお)なのです。『浦頭港に降り立った人たちは、検疫を終えると7キロ離れた援護局まで歩いた。宿舎に数日滞在して衣服や日用品を受け取ると、最寄りの南風崎(はえのさき)駅から列車でそれぞれの古里へ向かった。援護局は5年後に閉局。跡地には今、ハウステンボスが立つ。』と、西日本新聞は伝えています。今昔(こんじゃく)の違いが、大き過ぎてしまいます。
(上は浦頭港、下は五島列島の様子です)
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