人生には、「楽しいこと」が必要です。生きていく励みになるからです。でも、「苦しいこと」も、また付き物の様にしてあります。「苦楽同在」、裏と表の様に、楽しいことが続くと、また苦しいことがやって来て、そういった変化が、人生を深く掘り下げていくのでしょうか。
明治期に、300年ほどの鎖国政策のもとに置かれた日本が、維新と共に、欧米諸国と立ち遅れに晒されます。欧米に追いつき、追い越すことを掲げて、殖産興業に躍起になりました。明治政府が目指した「強い日本」、それが行き過ぎたのでしょうか敗戦を喫しました。そこからの立ち直りの時期には「豊かな日本」を作ろうとしたのです。そして現首相は、その施政方針で掲げたのが、「楽しい日本」でした。
確かに、子どもたちを、車に詰め込んで、ディズニーランドの行って過ごしたのは、実に楽しい一日でした。学業や、日常の義務から解放されて、思いっきり、amusementに彩られた夢世界で過ごせて、子どもたちばかりではなく、親の私たちも、実に手放しで楽しめました。
アメリカンドリームでしょうか、日常から解放されて、機械仕掛けの遊園地は、夢の国でした。朝早く家をで、終日遊んで夕暮れの家への帰り道は、疲れ果てた子どもたちが、帰りの車中では、全く違う、宿題や家事手伝いの現実に戻らなければならないのですが、最初は、あれやこれやと語り合って賑やかでしたが、やがて喜び疲れた彼らは、爆睡してしまっていました。
楽しい社会、学校、家庭、職場、クラブ、近隣は必要です。余暇を楽しむことは、現代人には、とくに必要です。でも、人生に楽しさは錯覚で、現実は、厳しいものがあるわけで、そこを見極めないと、苦楽を上手に体験できないからです。
日本は、飽食を経験し、美味しいものや珍しいもの、つまり楽しいことだけを追い求め当てしまったのです。「楽しい日本」だけではダメなのに、何度もその経験を積み上げていくと、本質を忘れ、失ってしまいます。
思いもよらなかった、暗くて怖い日本が出来上がってしまったのです。もうニューを聞きたくないほどです。それに温暖化は度を越してしまい、うなされる体温の40℃が平均値になってしまいました。それでも、神さまは、こんな不敬虔な現代人に、地面が、ジューと音を立てるかの様に、雨を降らせてくださるのです。
気付かなければならないのでしょうか。富や楽しさだけを追求した社会が、限界点に達していることをです。毎年、夏前からか追い迫られ、刺されて、こんどは刺されない様に、蚊帳の中に逃げ込んできたのですが、なんと今夏は、蚊に一度しか刺されませんでした。奇跡の如しです。また、毎年楽しませてくれた朝顔が、その蕾を開かないのです。でも、このところ六分ほど開いてくれる花になってきたのです。
来年のことを言うと、何某かが笑うのだそうですが、来夏の暑さは、きっと今年以上になるのかなと思ってしまいます。富裕層は、夏の家と冬の家を併せ持っていて、避暑避寒を繰り返す人たちがいるのだと、聖書にも記されてあります。
そんなことの叶わない私の猛暑の今年の慰めは、隣家からスイカが半分届いたこと、弟と姪が訪ねてくれたこと、そして子どもたちが、何やかやと気遣ってくれたこと、それに、何度かラムレーズンを食べたこと、これらがあって、乗り越えられたのかも知れません。心が豊かでなくては、生きるのを楽しめません。
(”SOZAI GOOD”の「ラムレーズンアイスです)