.
.
この週末に、7ヶ月前に、急に帰天された若き友人のご家族を、静岡県下の街に訪ねることができました。家内と私にとっては、2019年の1月の帰国以来の遠出の旅で、それを実現できたのです。上の息子が、休みを取れるというので、前の晩に、車で来てもらって、翌朝早く出かけるように計画したのです。6時半の出発予定でしたが、15分遅れ家を出ることができました。
東北自動車道、圏央道、東名道で、途中3ヶ所の渋滞がありましたが、二度ほど休憩をし、約束の時間に、15分遅れでの到着でした。そこは、私たちの子育て中に、毎年二、三度、夏の海水浴に出かけたことがあった海辺の街の近くなのです。5時間の行程に、家内は、リクライニイグシートに横になったりしながら、帰りには運転をする息子を激励しようとしてでしょうか、賛美をしたりの車旅、訪問となりました。
玄関前でハグで、夫人とお嬢さんと息子さん、そして、彼らのお兄さんと妹さんご夫妻が、やって来られていて、一緒に歓迎してくださったのです。ご夫人とお嬢さんで、とても美味しい歓迎のランチをご用意くださって、3時間ほどの滞在で、歓談することができました。長男夫妻は仕事でフランス滞在中でお留守でしたが、お嬢さんと下の息子さんとも、良い交わりが与えられました。
もう三、四十年も前になるでしょうか、彼のお父上ご夫妻が、牧会されていた教会に、何度も家族で招いてくださって、二、三日滞在させていただいたことが、何度もあったのです。当時、お子さんたちは、私たちの訪問時には、彼らのベッドを、6人家族の私たちに提供してくれて、どこかにもぐりこんで休む様な、大きな犠牲を喜んで払ってくれたお子さんたちでした。
とくに彼は、私がしていたスーパーの床掃除を、ある時期、何度も手助けしてくれたのです。電車を乗り換えて遠路を来て、夜間の作業を助けてくれました。仕事が終わると、翌朝、眠い目をして帰って行かれたのです。実に忠実で一所懸命助けてくれたナイスな青年の彼でした。
お父上もお母さまも、家内の若い頃からの家族ぐるみの知り合いだったので、彼が赤ちゃんだった頃に、ご家族で日本宣教のために初来日の折には、アメリカ訪問中で帰国する義母は、終いっ子の彼をおんぶをして一緒に羽田にお連れしたのだそうです。お父上は、私の家族の世話を、8年ほどしてくださった宣教師さんの友人でもありました。言葉にできないほどに援助、激励、執り成しをあいてくださった方でもあったのです。
32年ほどの奉仕を一区切りして、隣国に出かけた私たちを、その滞在の13年の間、様々に支え続けて下ったのが彼と奥さまでした。帰国しますと、教会と家庭に招いてくだたり、ホテルを用意してくださったもしてくださったでしょうか。慰めと激励のひと時を、何度もご用意くださったのです。
そんな彼との生前の出来事を、帰国以来、残されたご家族と、思い出を話したり、感謝したりしたかったのを、今回、やっと実現できた訪問でた。二年ほど前、元気だった彼が、家族全員で、栃木の我が家を訪ねてくれたことがありました。言いえない様な素敵な交わりをさせて頂いてきていたのです。彼が召された後も、家族やご兄弟で、教会の交わりを継続しておいでで、感謝したのです。近隣のみなさんへの救霊の思いもお聞きできました。私たちも大いに励まされた訪問でもあったのです。
帰りしな、お宅の玄関に出た時、金木犀の甘い香りが漂っていました。行き帰り、10時間以上、我が家から彼の家に帰る2時間も加えると半日以上にもわたる運転をしてくれた息子に感謝した訪問でもありました。何か残していた宿題を出し終えた様な思いがして満足な再訪だったのです。主が、支え激励している彼のご家族への感謝が、少しできたでしょうか。主が、愛するみなさんと共にいてくださる様に、切に祈る朝であります。主に感謝して。
(ウイキペディアの「キンモクセイ」です)
.