JR両毛線の桐生駅で下車し、しばらく北に向かって歩きますと、上毛電鉄の西桐生駅があります。《昭和ノスタルジー》の木造りの改札口があって、二輌ほどの電車で、群馬県庁のある前橋まで行くことができます。自転車を持ち込むことのできる電鉄で、ローカルな雰囲気が溢れているのです。野良着のおばあちゃんが乗っていたりでした。
桐生と前橋の間に、泰然とそびえる赤城山の麓を行く路線なのです。昭和3年(1928年)に開業していて、中央前橋駅から西桐生駅間は25.4 km 、駅数 23駅の規模です。3年ほど前に、往復割引切符を買って乗車したのです。改札口で、女性の駅員さんに、昔ながらのハサミで、切符にパンチを入れてもらいました。
つい『わー、懐かしいなあ!』と、その改札嬢に言ってしまいました。座席も、ボックス席ではなく、昔ながらの長いシート席で、寝そべりたい誘惑に駆られそうでした。講談や新国劇の上演で有名な赤城山が空いっぱいに裾野を広げていたのです。なにか「国定村の忠治」に出会えそうに思うほどですが、女子中学生が自転車で乗ってきました。
赤城山の麓の北に、《サ高住(サービス付き高齢者向け住宅)》と呼ばれている老人施設があって、老後を過ごすのに推薦を受けました。ところが、赤城山の山林の中に、〈爺捨て〉されそうで、遠慮したところです。いやあ、そんな推薦を受ける、病気がちの年齢になったのだと思うと、人生の短かさをつとに感じていた身ですが、現実化しています。自在に飛び回っていた日々が、霞んでしまう様です。
長く住んでいた街から、南に走る国道の脇に、
「子ども叱るな来た道じゃ 老人笑うな行く道じゃ」
の標語が、大きな看板に掲げられていたのを思い出します。子どもたちを車に押し込んで、一夏に何度も、海水浴に行った道筋にあったのです。スピード取り締まりの網にかかったり、中古車の空冷のゴムホースが破れて、止まっては、側道の家々で水をもらっては水を注ぎ、そんな風に帰路を走ったりを繰り返した道にでした。彼らが接した親父殿の現実、実像でした。
その子どもたちは、今や、オジさんとオバさんになって、髪の毛に白いものが目立つ様になっています。そんな彼らを育てた日々が、過去に霞んでしまい、叱った自分が、今度は叱られる年齢になって、ついに爺捨て山に連れて行かれそうな老いを迎えてしまいました。愛の受け止めの誤解ですから、ちょっとしたジョウダン気分ですので悪しからず。
聖書は、そんな自分の身の上を味方してくれて、次の様に言ってくれます。
『あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは主である(新改訳聖書 レビ19章32節)』
これまで、主に仕えてきた私たちに、敬礼を命じる神さまだけが、私の味方なのだと思い出したのです。煌めく茜色の赤城の山で、親分の忠治が、子分衆と別れを惜しむ場面がありました。小松五郎義兼が鍛えた業物を、右手で構えた忠治を、子分たちが囲んでいます。どうも実在した、outlaw の世界の人物でしたが、絶大な人気の人でした。
彼も逝き、彼を講じた講談師も演じた役者も逝きました。次は自分の番が待っています。でも、好い人生でした。佳い妻と快い子たち、良い両親と、快い兄弟たちと友と、善き師とに出会えました。そして、良い主なる神さまに出会えたのです。これ以上に素敵なことはありません。赦され、受け入れられ、共同相続できる子とされ、しかも朋友と呼んでくださいました。
『「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。(ヨハネ14章1~3節)』
永遠の住まいが用意されていて、そこに迎え入れられるのです。多くの聖徒たちと共に、やがて住むのです。涙も、病も、苦しみ悩むことのない天(あめ)なる御国にです。
『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。(同11章25節)」
死んでも生きるのです。そう約束してくださいました。そこは、《ザ高住(The高所住宅)》、いと高き所にある住居の意味で、「サ」と「ザ」とでは雲泥の差のある永遠の住まいのことなのです。
♫ やがて天にて 喜び楽しまん 君にまみゆる日ぞ 懐かしき ♬
この讃美歌が、唇にのぼってきます。二親や恩師や友人、愛兄姉との死別の悲しみがありましたが、再会の望みに溢れる今です。その中に、元ボクサーで髭を生やして、ちょっと斜視で、男らしい声で、
♯ 心の中でメロディーを 王の王にささげよ ♭
と、コーラスを教えてくれた方がいました。アフリカに宣教旅行に行く途次に、ちょうど婚約式の夕べに、寄ってくれて祝福してくださったのです。そう、その前年の秋の特別の集いで、私の頭に手を置いて、異言で祈ってくれました。私の口から異言の賛美が溢れ出、どんなに自分が罪深いかを示され、赦しの確信が与えられ、大声で泣きました。そして献身の願いが湧き上がった時だったのです。
自分の人生が、180度展回してしまった出会いの人なのです。アフリカには一緒に行けませんでしたが、お隣の国には行けて、13年も過ごせたのです。そこで一緒に集って、主を賛美し、主に祈り、聖書を分かち合いました。素晴らしい、大陸の基督者のみなさんと出会い、励まされ、祈られ、支えられたのです。
でも、双六の上がりの様に、そこをどう過ごすかが一番大切でしょうか。弱くなっていった父と母を思い出し、今度は自分だと思うのです。思い出だけが生き甲斐ではなく、輝く未来に、希望を繋げられるのは、感謝ばかりです。きっと、みんなに助けられ、忍耐されて生きていくのでしょう。よろしくお願いします、の今です。
このブログをアップしようとした昨夕、共に過ごした愛姉からの知らせで、上海で、伝道者夫人が、大きな手術を受けられ、祈りの要請がありました。祈りで繋がるチェーンがあって、祈り合ってきた方です。家内の術後にも見舞いに、ご主人とお二人で来てくださった方です。主は、《エホバ・ラファ》、病を癒やされるお方、その御を呼んで祈らせて頂きました。
(Christian clip artsの「イラスト」です)
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