やっと、でしょうか

.





.

 さしもの猛暑も、昨夜は涼しくなって来たようです。虫の音が聞こえ、秋を告げ🍂、やっと一息つけそうです。

 iPad が、雷様(雷様)の大暴れで、落雷や停電の影響でしょうか、Wi-Fi をcatch できなくなってしまいました。昨日は、息子が診断してくれ、iPhone で操作を指示してくれましたが、要を得ず、週末に駆け付けてくれるようです。

 今日は、最高気温予報は32℃で、午後は雨のようです☂️。降り方が半端ではありません。文句なし、生きていますのでご安心ください。

(5点セットのベランダと室内の花々です)

.

男のけじめ

.

.
 父が、『急に老けてしまった!』のを感じた時がありました。父が34歳の時に、三男として生まれた自分でしたが、この自慢の父親は、男五尺強、十六貫で、dandy だったのです。

 背丈はありませんでしたが、明治男の標準で、恰幅は良かったのではないでしょうか。東京圏の出身で、都会的な sense を持ち合わせていたのです。身の回りには、日本橋の三越で、誂(あつら)えた背広、Yシャツ、黒川靴、ネクタイ姿で、お洒落に颯爽と電車通勤をしていました。

 また持ち物は少なかったのですが、それを大事にする人でした。子ども心に驚いたのは、Yシャツの襟や袖口が擦れてくると、裏返しに出して使い続けていました。しかもクリーニングに出したYシャツに、母にピカピカに磨かせた靴を履いていたのです。

 病んで伏せている父を見たことがありませんでした。熱があると、熱いお風呂に入って、鉢巻をして、『ウーン!』と唸りながら寝ると、翌朝は定刻に起きて、朝餉を終えると、着替えて通勤してしまうのです。医者とは縁のない様に見えたのです。

 ところが、通勤の小田急電車が急ブレーキをした時に、くも膜下出血を起こしたのです。丈夫だったと自負していたので、自分では軽いと思っていたのでしょう。しばらく放っておいたのですが、けっきょく地元の市立病院に入院してしまったのです。

 その頃は、すぐ上の兄のジャンバーを羽織り、運動靴を履いて、退職後の第二の職場に通勤ていたのです。自分の会社をいくつか持っていたのに、それを畳んだか、人に譲ったのか、洒落(しゃれ)男が変わっていく様子に、驚いたのです。もう構わなくなってしまっていました。六十前でしたが、父の変化に驚いていたら、退院する朝に、脳溢血を起こして、そのまま亡くなってしまったのです。それは衝撃的でした。

 父が六十一で召されて、父よりも二十近く長生きをしている今の自分を、ちょっと距離を置いて眺めてみると、ずいぶん構わなくなってきたのに気づくのです。着なければならない時のための背広もYシャツもネクタイも残してありますが、着る機会がありません。

 この人生の cycle の変化を、しっかりと受け止めなくてはいけないのかも知れません。『もういいよ!』と言わないための努力が必要になってきている様です。ちょっと出かける時も、『好きな娘(こ)に会ってしまう時のために!』と、気配りを怠らなかった頃の思いを忘れずに、世間に対しても、みすぼらしくない様にする努力が必要なのです。

 「笑」が何十個もプリントされた物、賛美チームの物、シンガポールの名所をプリントした物、もう何年も何年も着古して、Tシャツは色褪せ、生地が薄くなり、襟元が破れてきています。そんな着古した物を着ている自分も、もう十分に、草臥(くたび)れてきているのです。

 ところが、ユダ族のカレブは、モーセに次ぐ指導者とされたヨシュアに、次の様に言っています。

『今、ご覧のとおり、主がこのことばをモーセに告げられた時からこのかた、イスラエルが荒野を歩いた四十五年間、主は約束されたとおりに、私を生きながらえさせてくださいました。今や私は、きょうでもう八十五歳になります。
しかも、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。(新改訳聖書 ヨシュア記 14章10~11節)』

 彼は、八十五歳になる自分が、四十歳の時と同じ様に『今も壮健です。』と、カレブは言ました。自分の氏族の受けるべき相続分を、そう言って願い出たのです。人は外観だけでなく、やはり内面なのでしょう。ボロをまとえども、心は輝かせているべきです。
.

.
 信長は、「人間(じんかん)五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり、一度生を享け、滅せぬもののあるべきか」と、「敦盛 幸若舞(こうわかまい)」を舞ったのですが、私は、26の時に、人生に永遠の希望を持たせていただいて、半世紀強を生きてきました。恥多いこれまでですが、悔いなし、罪を赦され、死を恐れずに、明日への望みを得て、今を生きられて溢れる感謝でおります。

(ウイキペディアによる父の生まれた街の市章、織田信長像です)

.

当たりなのか外れなのか

.

.
 「親ガチャ」と言う言葉がある様です。おもに若者が、自分の親を評して、そう言うのだそうです。この「ガチャ」は、スーパーの入り口でしょうか出口に、子ども相手に、100玉を入れて、ガチャガチャとノブを回すと、何が出てくるか分からない、プラスチックの入れ物に入った、人形などが出てくる、あれです。

 百円の価値などない物に、出たとこ勝負、運などによって手に入れ様とする、賭け勝負の遊びの子ども版だと言えそうです。けっこう、あの機械の前にしゃがみこんで、誘惑されている子どもたちを多く見かけたものです。でも、そう言った光景を、最近はあまり見かけません。

 ガチャガチャの機械は、今は廃れて、入り口にロープで閉鎖され、閑古鳥が鳴いていて、いつもの散歩コースにある大駐車場を持った、大人版のパチンコ屋と同じなのでしょうか。〈何が出るか?〉、〈どれだけ出るか?〉で誘っている点で、似ています。儲かるとか、得をすると言った、努力や研鑽や克己などとは全く違った思いを、幼い子どもたちに植え付けてしまっていたのです。

 わが家は、ガチャをさせないで、けっこう厳しく、尻叩き(英語ではスパンクspank と言います)までされた子どもたちなのです。そろそろ五十代になっている今、ほんとうは、「親ガチャ」なのに、『よく育ててくれた!』と、とくに娘たちが、lip service をしてくれています。彼らには、《当たり🎯》だったのでしょうか、〈ハズレ!〉だったのでしょうか、今や親が、歳を重ね、しかも病気がちで、気の毒で励まそうとして、そう言うのでしょうか。

 でも「スポ少」と言う、家に籠りがちの子どもたちに、強くなって欲しくて、スポーツをさせようとする願いからでしょうか、野球やバスケットボールやサッカーなどが盛んに行われていて、それはさせてあげたのです。今頃の季節には海水浴にだって、よく連れ出しました。あの高額な入場料のディズニー・ランドにだって何度も連れて行ったのです。

 賭け事の子ども版に踊らされた子どもたちが、ちょっと大きくなって、それと同じで、親を選べない現実と、当たり外れ、外ればかりのガチャガチャに絡めて、「親ガチャ」と言うのです。外れガチャこそが、自分の両親だと思わせてしまったのは、随分と子どもたちは不幸ではないでしょうか。

 父に愛されて育った私は、〈内弁慶〉だと言われました。家では威張っていて、外ではからっきし弱虫なのです。そんなで病弱な私を強くしようと、『泣いて帰ってきたら、家に入れないぞ!』と、父は言ったのです。殴られても、泣いて尻尾を丸めるのではなく、殴り返す様にされて、相手が give up するまで頑張ってしまう子になってしまったのです。

 もしかしたら、「子ガチャ」、「教師ガチャ」、「市長ガチャ」、、今日日、関西圏には「知事ガチャ」がいるのでしょうか、どこでも大騒ぎをしている様です。「首相ガチャ」だと騒がれて、退陣して、首長の座を下りるニュースで、日本が驚いているとかですか。

 ある聖書の言葉に、私は励まされて、『生きていていいんだ!』と思わされたのです。

『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(新改訳聖書 イザヤ43章4節)』

 ヤコブ(後に、主なる神によってイスラエルに改名されています)の子孫が、不信の子、不従順な子、つまり「子ガチャ」なイスラエルの民を、族長たちとの契約の故に、「高価」、「尊い」と言う風に見て、遇してくださると言う箇所です。自分も、ずいぶんなガチャ人間でしたが、キリストに故に、「高価で尊い」とされ、愛を実感できたのです。ただ憐みのゆえでもあります。
 
(ウイキペディアによるガチャガチャです)
.

大社高校、準々決勝へ

.

.
 甲子園に、驚くべき勝利の雄叫びが上がりました!
 山陰島根の大社高校が、西東京代表の早稲田実業高校にサヨナラ勝ちで、打ち勝ち、投げ勝ち、応援勝ちしました。
 この大社高校は、亡き母の故郷の代表です。母は、女学校に行きたくても行けませんでした。勝ち気で、今市小町と噂の高かったと言われたのだそうですが、涙を飲んで勉学の道をあきらめて、郡是(グンゼ)の工場で働きました。
 そんな背景があって、島根には特別な思いがあり、出雲の地の高校が勝ったことを、今宵は喜んだのです。
 父が学んだのは、市立の旧制中学校で、ある家庭の事情で、東京府下の私立中学校に転校しています。高校野球では、時々名の上がる学校ですが、中学校野球をやったかどうかは聞きませんでしたが、一緒にキャッチボールをしてくれたほど、野球好きでした。
 とにかく、そんな縁(えにし)があって、嬉しいのです。百年前の甲子園で行われ始めた、中等学校の野球大会にも出場したチームで、早稲田実業も共に選ばれていて、百年目の対決だったそうです。大社高校は、107年ぶりに2勝目を挙げた様です。
.

.
 大方の予想に反しての勝利、準々決勝への8チームに選ばれたことになります。19日に、鹿児島県代表の神村学園高校と対戦します。暑いのは日本列島、さらに熱いののは甲子園です。準々決勝に進むすべてのチームの健闘を願っています。

(ウイキペディアによる大社高校、こうしえんです)
.

台風一過

.

.
 台風予報で、『車が横転するほどの強風が吹く恐れがあり、十分注意を!』と言われたほどの7号台風でしたが、朝5時には、穏やかな空でした。ベランダでは、いくつもの朝街が開いています。まさに台風が通り過ぎた穏やかな、栃木巴波川のほとりの朝です。

健闘を讃えて

.


.
 第106回高等学校野球選手権大会(於甲子園球場)に、栃木県で栄冠に輝いた、県立石橋高校が出場しました。一回戦では、宮城県代表の聖和学園高校に、5対0で勝利し、二回戦に進みました。今日の第三試合で、青森山田高校に、0対5で、惜しくも負けましたが、その健闘に元気をもらえたのです。

 県立高校の出場校数が少ない大会で、ここまで善戦したことを、県民の一人として喜びたいのです。専用球場もなく、練習時間も少ないのだそうですが、与えられた条件や環境の中で、精一杯励んだことに拍手したいのです。県大会でも、本県の雄である作新学院、国学院栃木校をくだしての全国大会への出場でした。

 この石橋高校は、1924年(大正13)に創立されていて、県内でも有数の進学校なのです。家内の通院する獨協医科大学病院から、バスに乗車して、宇都宮線(東北本線)の石橋駅まで、バスに乗ったことがあり、その途中にある学校なのです。

 「文武不岐(ぶんぶふき)」を掲げて創立された学校で、野球部は、1935年に創部されているそうです。国公立大学に多くの卒業生が進学している様です。公立学校の健闘は、素晴らしいことです。猛暑の中に、味合う清涼な水の様に、爽やかにされたことに感謝したいのです。

(写真は、ウイキペディアと石橋高校のHPからです)
.

美しい日本語に接してきて

.

.

「操作」、デジタル大辞泉によりますと、
読み方:そうさ
[名](スル)
1 機会などをあやつって動かすこと。「ハンドルをーする」「遠隔操作」
2 自分の都合のよいように手を加えること。「株価をーする」「帳簿をーする」
とあります。

 誰かが、または何かの団体や国家や組織が、ある目的のため、奸計を行うために、故意に、意図的に圧力をかけて、世の中の動きを Control してきているように、最近、思えて仕方がありません。「特別警戒」と言って、NHKがニュースで言い始めて、それで日本中が大慌てを起こしてしまったのです。観光地の宿泊キャンセルがたくさんあったほど、大きな影響がありました。

 言葉を伝えるマスコミで、文字や言語の中に、以前とは違ったものを感じてなりません。情報に伝え方です。それでなくても、この数年の砂漠の様な、夏の暑さに見舞われていたのにです。専門家が大慌てしてしまった煽りで、社会不安を生んでしまったのです。緊急なことは、もっと注意深く発信して欲しいのです。

 日頃感じていることですが、その一つが、ニュースなどの言葉に、カタカナ語が濫用されていることです。辞書を引かないと、意味がわからない表現が多くなっていることです。もしかしたら、意味をぼかして伝えようとする意図が感じられてならないのです。厳粛さが伝わらないようにしている様に、パニックが起こらない様にと、何か操作が感じられてなりなりません。

 美しくて、意味深調な表現のできる日本語があるのに、日本語を使わないで、とくに英語、たまにフランス語が、カタカナ語、たまにはドイツ語で書かれ、語られています。今は、ニュース原稿や、官庁のコメントなどを作成する文書方が、若い人が担当されているのでしょうか。その書き上げた文書を、点検する機能が働いていないのではないかと勘ぐりたくなります。

 英語には、nuance(ニュアンス)の違いだったり、at、on、for、inなどの助詞をつけたりすると、意味が全く違う場合が多いのを学んだのを思い出します。そんな戸惑いを覚えながら、中学生になってから、英語を初めて学んだ日を覚えているのです。その担当をされたのは、高等部の教師で、私たちが三年生になる頃は、有名な大学に、フランス語教師として転身されて行かれました。

 英語が、こんなに豊かな表現をしているのに驚かされ、そんな風にしての学習も楽しかったのです。そればかりではなく、国語の担当教師が、一人は僧侶で、教科書を教えてくださり、もう一人は、特別講義をされた高校3年の担任の先生でした。「奥の細道」の小冊子を買って、それを教科書にして学んだのです。文語体、古い日本語を学ぶために、素読しました。その文章の簡潔さ、言葉の重さを感じて、私は、すっかり虜にされたのです。

.

.

『月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、
 草の戸も住替る代ぞひなの家
面八句を庵の柱に懸置。』

 『なんと美しい言葉、文章なのだろう!』と驚き、芭蕉と曽良の旅姿が想像でき、その旅先に行ってみたいと思わされたほどでした。そんな心打たれた中学一年生だったのを覚えています。まだヒゲが生える前だったのに、気分は、もう高校生になったような不思議な気持ちでした。

 自分の国の国語を、もっと大切にして、誇るべきではないでしょうか。英語への憧れは、大谷翔平ではありませんが、やめた方が良さそうです。家庭の中で、歯切れの良い父の語る言葉、母の穏やかでやさしい表現の言葉で育てられたのです。日本人は、受け継いできた文化や習慣や言語に、もっと自信を持つべきだと、仕切りに思うのです。その上で、諸外国語に慣れ親しんでいったらいいのです。元禄二年八月十六日、敦賀で次の句を、芭蕉が詠んでいます。

寂しさや 須磨にかちたる 浜の秋

(ウイキペディアによる芭蕉の旅立ち、葛飾北斎の描いた芭蕉の旅姿です)
.

隣人を喜ぶ

.

.
 先一昨日の夕方、大きなスイカを頂いたそうで、近所の方に分け、残りの半分を、汗を拭き拭き、玄関に持たれて、知り合いがやって来られました。私たちにも食べさせてあげたいと、家内が散歩で出会ってから、よくおいでくださって、この街の情報や歴史を知らせてくださるご婦人なのです。

 一人暮らしで、長く、接客のお仕事をされた方で、時には写真や、新聞の切り抜きを持って訪ねてくれます。私たちが若い頃から存じ上げている方の親戚で、この街に住んでおられて、そんな方と出会うといのも不思議な出会いで、家内の親族の出の街の近くの出身でもある様です。

 『袖触り合うも他生の縁!』でしょうか、電車の向かいの座席に座っている方、財布を拾って案内所に届けてくださる方、スーパーのレジに並んで前後している方、壁一つで隣り合っている方など、人との出会いやすれ違いや隣り合わせは、何か偶然ではない様に感じるのは、人との関わりが大切なのだとの証なのでしょうか。

 「隣人」の権利を冒したり、偽証をしたり、蔑んだり、憎んだり、悪を図ったりすることを、「聖書」は、見逃さずに、禁止しています。若い頃に、JR中央線の電車から、外を見ていますと、沿線の高架の車中から、[遠くの親戚よりも、近くの◯屋!]と言う看板を見つけたことがありました。

 それは、『もし、あなたが困ったら、遠い親戚に頼るよりは、ここ[質屋]を頼っておいでください。当座の必要をお貸しします!』との宣伝広告だったのでしょうか。聖書の箴言の中に、

『あなたの友、あなたの父の友を捨てるな。あなたが災難に会うとき、兄弟の家に行くな。近くにいる隣人は、遠くにいる兄弟にまさる。(新改訳聖書 箴言27章10節)』

とあるのです。世帯を持ってから、この質屋に行ったことがありませんでした。人にお金を借りたたことが一度だけありました。教会学校で、バンの車が必要になって、それでキャンプに参加できたらいいな、とお金を借りて、買ったのです。それは、完済しましたが、それまでの間、〈貸し手の奴隷〉になった様に感じてなりませんでした。借金までして買う必要はなかったかなと、今になると思うのです。

 それ以降、財布の中にお金がなくても、借金だけはせずに過ごすことができました。『俺の手で家族の必要を満たす!』と思いながら生きてきましたが、健康を支えられ、怪我をした時には、友人や兄弟が助けてくれたのであって、何一つ己の力などにはよりませんでした。自分の力によったのではなく、いつも助けが、ちょうど良いほどに、ちょうど良い時に与えたれて、今日を迎えています。

.

.
『だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。(新改訳聖書 ローマ13章8節)』

 これは、手ずから働いて、地中海世界に伝道を繰り広げて、キリストの教会を生み出し、そこに仕える者たちを養成したパウロが言った、愛だけは借りても良いと言う勧めです。隣人の存在も、神の配剤のひとつなのでしょう。主の名を辱める様な生き方から、免れて生かしてくださったことの感謝しております。

 母が父と死別して、次兄が、母のその後を看てくれたのです。支給されてていた遺族年金を、母は蓄えていたのでしょう。母の亡くなった後に、郵便局から連絡があったと兄から連絡をもらいました。そのほとんどの部分を、病んで帰国し、入院治療をしていた私たちがもらうことができたのです。それは大きな助けでした。

 心を励ましてくださる、川向こうに隣人夫妻がいて、一緒にチェロ演奏のビデオを鑑賞する機会を設けて、誘ったりしてくださったり、闘病の知恵をくださったり、一昨日は、本を貸してくださるために、ご婦人が訪ねてくださり、一緒におはぎを茶菓に、お茶を淹れて飲み、談笑しました。ゼリーのお土産まで持参してくださったのです。隣人と家族に恵まれて、今を過ごしております。

(ウイキペディアの切スイカ、巴波川です)
.

仰いで思い出す先生

.

.

 懐かしさを思い起こさせ、感謝や恩義を覚える歌があります。私たちの時代に、卒業式に歌った、ちょっと季節外れの「仰げば尊し」です。意味がわからない歌詞があったのですが、長年教えていただいた先生への感謝や敬意の思いが綴られているのは分かったのです。

🎶 仰げば尊し わが師の恩
教えの庭にも はや幾年(いくとせ)
思えば いと疾し(とし) この年月(としつき)
今こそ別れめ いざさらば

互いに 睦(むつみ)し 日頃の恩
別れるる後にも やよ忘るな
身を立て 名をあげ やよ励めよ
今こそ別れめ いざさらば

朝夕慣れにし 学びの窓
蛍の灯火(ともしび) 積む白雪(しらゆき)
忘るる間(ま)ぞなき ゆく年月
今こそ別れめ いざさらば ♬

 ここに出てくる「さらば」と言う、別れ際に用いる言葉があります。映画で、鞍馬天狗が、角兵獅子(大道で芸をして謝礼を得る子どもで多くの場合孤児や捨て子でした)の杉作のもとを去っていく時に、『さらばじや!』と言ったのを覚えています。

 まさに人生には、多くの「別れ」があります。親との死別、好きな女性との別れ、恩師との別れ、級友との死別、恩ある人との死別、これまで多くの別れの時がありました。歳をとるにしたがって、その機会が多くなるわけです。

 それでも一番悲しかったのは、二親との別れでした。父の腰から出て、母の胎に宿った自分が、生を受け、育ててくれた父と母には、感謝な思いばかりの今です。

 さらに、私には、感恩を謝したいと願う方が三人おります。一人は外山先生、田舎から転校してきた私を小学校2年の2学期から担任してくださった方です。幼稚園も行かず(山奥でなかったからですが)、病気がちで登校日数の極めて少なかった私は、登校した日には、嬉しかったのか、じっとイスに座ることができずに、立ち歩いては同級生にちょっかいを出していました。

 今で言う多動性の問題児だったのです。国語の授業の時でした。教科書の記事の擬音を、『電車の切り替え線で起こる音です!』と答えた私を聞いて、『よく分かったわね!』と、山内先生は褒めてくれたのです。それから自分が変わったのを覚えています。褒めるって、褒められるって、すごいことに違いありません。

 もう一人は、中学の三年間担任をしてくれた大机先生です。髪の毛が薄くて、明るい目を眼鏡の下に見せていた方で、社会科を担当していました。この方は、朝礼や終礼、授業の開始と終了時に、挨拶を交わす時に、私たちが立つ床に降りて、深く頭を下げていました。

 『まだ産毛の残る私たちを、一人の人として敬意をもって接してくれている!』と思わされたのです。そんな経験から、教壇に立つ機会が絶えられた時に、この先生に倣って、初めと終わりの挨拶を致しました。三つ子の魂、60までですね。

 さてもう一人は、アメリカ人の宣教師です。狭量で、井の中の蛙のような、日本主義に凝り固まった小生意気な私を、世界に通用するひとりの人間に矯正してくれたのです。一民族の優秀性を棄て切れずにいた私に、すべての人種・民族・国家が独自の優秀性を持つことを教えてくれたのです。妻の愛し方もです。どう考え、どう思索し、何を構築すべきかもです。

 つまり、聖書の読み方や解釈の仕方だけではなく、《人間》を教えてくれたと言えるでしょうか。この方は、先生と呼ばれることを固辞されたのですが、敢えて私は言葉を変えて、「恩師」と呼びたいのであります。2002年に召されたのですが、年月が過ぎていくに連れ、この方への感恩は増し加わるのです。

 『あなたなら、この教えを理解してくれるでしょう!』と言われて、彼の書き表したチャートとビデオを、渡されたのです。自分には、歯が立たないと、長くしまい込んであったものです。間もなく、読書の秋に、このチャートを紐解くのは、時宜を得たことのように思えてなりません。彼の夢・幻の追随者でありたいと、改めて身を引き締めて覚悟を決めた朝であります。

.

.

『しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。(新改訳聖書 ヨハネ14章26節)』

 さらに、三で一つの神でいらっしゃって、第三位格の神さまである「聖霊」は、教師であるのです。学んだこと、聞いたこと、読んだことなどを、必要な時に思い起こさせてくださるお方です。そればかりではなく、聖霊なる神ご自身が、教えてくださったり、禁じたり、静止したり、促してくださるのです。

 教え導いてくださった方々は、もうおいでになりません。様々な場面で、窮したり、困惑したり、悩んでしまい、不可解な事態に直面した時に、誰に聞いたらよいのでしょうか。聖霊は、「助け主」でいらっしゃって、その意味は、「あなたの傍(かたわら)におられるお方」なのです。私たちを励まし、訓戒し、責め、「真理」が何かを教えてくださいます。救い、罪、再臨、終末など、私たちの経験、学び、常識、そして知性を超えた領域の不理解なことを、理解させてくださいます。

 傍にいらっしゃるので、あの先生たちに質問した時の様に、「聞く」なら答えてくださるのです。『これが道だ。これに歩め。「旧約聖書 イザヤ30章21節)』と言ってです。『あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから・・・』語られる声を聞くことができるのです。

 今日も、その声を聞きながら一日を過ごしたい思いでおります。未曾有の暑い日が続き、想像を超えた雨量の雨が降り、時々地が揺れていますが、私たちの責任は、今日を生きることです。明日の心配をしないで、今日です。「明日は明日自身が思い煩う(マタイ6章34節)」ので、今日を感謝して生きようと決心したところです。

(Christian clip artsのイラストです)

.