恐れるな

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 『 あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、「恐れるな。わたしがあなたを助ける」と言っているのだから。(詩篇4113節)』

 今、〈震度5〉の強い地震があって、『ドスン!』と音がして、部屋が揺れました。コロナにウクライナ侵攻、そして地震、地上に様々なことが、賑々しく起こっています。一番怖いのも優しいのも「人」でしょうか。

 いつも思わされるのは、何が起ころうとも、『恐るな!』という、わたしの神、主がおっしゃる安心への促しのことばです。

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逸材

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『正道を踏み国を以て斃るるの精神無くば、外国交際は全かる可からず。彼の強大に萎縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する時は、軽侮を招き、好親却って破れ、終いに彼の制を受くるにに至らん。』

 これは、西郷隆盛の残した「遺訓」の中にある一節です。ロシアのウクライナ侵攻によって、国際情勢が一段と危うくなってきているのが感じられます。どこの国もおちおちとしておられない昨今でありますが、西郷隆盛は、黒船の来航という一大事件があって、開国を迫られる中で、諸外国の言いなりにならずに、対等に関わるべきだと語ったのです。

 明治維新政府によって、廃刀令や断髪令が公布され、武士団の解体を急いだのです。職を失った士族は、急激に立場を失う事態に直面し、不満を募らせていきました。薩・長・土(薩摩、長州、土佐)によってなった維新政府は、旧幕の朝敵には、ことのほか何の配慮もしなかったのですから、不満噴出は当然でした。まさに内憂外患の日本でした。

 国内に社会の変化、政治的な変革が起こると、その常套的な対策は、人々の目を外に外らせようとするのです。それで不満を抑え込もうとします。維新政府は、欧米列強からの外圧を覚えながら、国を富ませて、軍事力を得るために、富国強兵政策を取りました。国威を高めるために、岩倉具視や木戸孝允らによって、朝鮮侵略を目論んだのです。「大国主義」が、あの「征韓論」でした。

 そんな中で、日本の封建社会に大変革をもたらせた立役者であった、薩摩の西郷隆盛は、表舞台に立つことを嫌います。その征韓論ですが、この西郷が、そう言い出したかの様な捉え方をする人が多くいます。豊臣秀吉が、朝鮮出兵をするのですが、維新政府も同じでした。

 そのきっかけとなったのが、朝鮮半島の釜山にあった、「草梁倭館(日朝交易の中心で、長崎に出島の朝鮮半島版だった様です)」の扉に、日本を侮辱する言葉が書かれた文書が貼られたことだったのです。明治初年のことでした。これに怒った日本は、〈居留民保護〉の名目で出兵して征韓を考えます。

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 板垣退助は、すぐに実行を提案しますが、西郷隆盛は、国書を持たせて使節を派遣して、ことの真相を確かめるのが先決だと言いました。穏健な対処法だったと言えます。その代表使節に、西郷自らがなろうと言うのです。結局、その提案は退けられ、西郷は辞職し、鹿児島に帰ってしまいます。

 そして西南戦争が勃発していきます。その戦いで、西郷は倒れてしまうのです。「五百年に一人生まれる逸材」と言われた人物を、明治維新政府も、日本も失うのです。長州藩出身の維新政府の立役者たちの別荘が、栃木県北部の那須の地に、いくつも残され、記念館となっています。

 西郷隆盛は、明治二年に、維新政府に出仕する様に要請されるのですが、その様に願う薩摩藩士たちに次のように語っています。

 『お前たちは、私に向かって朝廷の役人になれと言って、私を敬っている風であるが、今の朝廷に役人が何をしてると思うのか。多くのものは月給を貪り、大名屋敷に住んで、何一つまともな仕事をしていない。悪く言えば泥棒なのだ。お前たちは同伴のものに、泥棒の仲間になれと言ってるのと同じなのだ。それは私を敬うどころか、いやしめることになるのだ。』と。

 私の弟の書棚に、西郷隆盛の著した書や、彼に関する著書が何冊もあったのを見たことがあります。あまりにも有名な彼直筆の書に、「敬天愛人」があります。一説によると、西郷どんは「聖書」を読んだ人だと言います。

 ⭐︎注記 斃る(たおる) 全かる(まったかる) 軽侮(けいぶ) 終(しまい)

(西郷隆盛直筆の「敬天愛人」、「桜島」です)

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投降迫る!

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 今朝の新聞の一面に、「マリウポリ投降迫る!」という見出しがありました。なす術を知らないウクライナの現状を、ただ見ているだけで、世界は何もできないのでしょうか。核戦争の勃発や第三次大戦に拡大するのを恐れるからでしょうか、米英仏独は、何もできません。世界は殺戮が繰り返され、多くの市民が無差別の殺されているのを、ニュースで聞いているだけです。

 つらくて悲しくて、ニュースから耳を逸らせて、switch  を切ってしまいます。兄たちが生まれる前後に、同じように新聞の一面を飾り、ラジオが放送したのが、「南京陥落!」でした。それを読んだ日本人は、幟を掲げて行列で、町や村を練り歩き、神社で戦勝を感謝し、更なる戦果を上げるために祈願したのです。

 生まれる少し前のことですが、戦後史を学ぶ中で、その事実を知ったのです。他国を侵略して戦意が盛り上げられて、日本人はこぞって酔ったのでした。昨日のモスクワは、どうなのでしょうか。同じ様に、喜び狂っているのでしょうか。ウオッカやボルシチを好む両国民の間の戦争に、憎しみが増し加えられています。それを思っている日本の朝です。

 2007年だったでしょうか、華南の街で、お孫さんのお世話をしていたご家族に、食事に招待されました。彼のおばあちゃんにお会いしたのです。戦時下、日本軍は、上海に上陸し、砲撃で町々村々を攻撃し、婦女を犯し、火を放って家々を焼き落としたのです。進軍する日本の軍隊は、浙江省の村々をも焼き落としていきました。その放たれ火で、この老婦人は、幼かった少女期に火傷を負ったのです。わたしは無理を言って、その右腕の上腕部の火傷を見せてもらったことがありました。やはり正視できませんでした。それが、今まさに見てるウクライナへの「侵略戦争」でもたらされる「痕(あと)」なのです。

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 わたしは、父が間接的に作った部品を搭載した爆撃機によって、中国本土に爆弾を投下し、多くの人命を奪い、街々を破壊した過去の日本の蛮行の事実を、お詫びするために、戦争が終わって60年も経っていましたが、家内の手をとって出掛けたのです。それが主たる目的でした。残された時間、自分でもできる償いがあるとするなら、イエス・キリストの十字架の福音を語ること、十字架の福音を信じて伝道している「家の教会」のお手伝いをすることでした。

 教会の主が、その重荷をわたしにくださったのです。それ以前に、天城山荘で、「中国宣教を考える会」の大会が、戦時下で大陸伝道をされたみなさんの呼びかけで、開かれた時に、まだ三十代の初めのわたしは、なぜか参加していました。その後、いのちのことば社を始められた宣教師夫妻と一緒に、中国四都市を訪問して、漢訳聖書と聖書研究所やトラクトを届ける旅行をさせてもらいました。四十年以上も前になるでしょうか。

 その旅で訪ねた省都で、『今、日本の教会が、中国の教会にできることは何ですか?』と、何十という家の教会のお世話をされていた伝道師にお聞きしたのです。この方は、強制収容所に何度か入れられていました。『お金はいりません。わたしだけが豊かになりたくないからです。その代わり中国に来てください!』と言われたのです。

 その求めに応答して、2006年に出掛けたのです。13年の間、いることができて、家内の病気を契機に、帰国したわけです。きっと、再び行くことは叶わないと思いますが、圧政の下にある教会のためには祈れます。今まさに、ウクライナの街々で起こっていること、人々のため、そしてウクライナの教会のためにも、わたしのできることは、ささやかな祈りです。

 歴史は、その事実と直面しない者たちの手によって、繰り返されます。こんなに素晴らしく、神によって造られた人は、罪ゆえに何と愚かなのでしょうか。こんなに愛や憐れみに乏しいのです。娘たちを見る目で、ウクライナの人々のお嬢さんを見ることができない、独りよがりの指導者の現実に、人の限界を感じます。

 同じことを行った日本は、80年近く経って、難民を受け入れ、物資を支援し、ウクライナを後方から支援しています。それは、二度と再び、他国を侵略しないという決意の行動なのでしょう。戦争を知らない世代が決めて、愛を実行しているのです。

( “イラストAC ” の「日陰躑躅(ひかげつつじ)です)

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祈り

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 『神はその権力をもってとこしえに統べ治め、その目は国々を監視される。頑迷な者を、高ぶらせないでください。 (詩篇66篇7節)』

 指導者の器ではないのに、指導者が王座や支配の地位に着いてしまった国家や組織は、致命的な欠陥を持っていると言えます。そう言った指導者を生み出さざるを得なかった、事情や状況があったのですが、それが世界的な不幸の原点に違いありません。

 第一次大戦に敗れたドイツが、厳しい世界からの戦後処理に見舞われている中に、ナチスが台頭しました。悪魔的な弁舌に長けたヒットラーの演説に、ドイツ国民は酔ったのです。窮状を脱出させてくれる指導者としてしまったわけです。金日成然り、ムッソリーニ然り、スターリン然り、習近平然りです。

 無能だと評価された器が、いつの間にか支配の座に着いてしまったのは、偶然ではありません。やかましいドラや、巧みに考え抜かれた宣伝文句、人心収攬術に長けた参謀がいたからでした。マスコミも支持していました。そう言った小さな助長が、無能者を大物に作り上げてしまい、悪事を働かせてしまったのです。

 正論を語って助言する器は、戯言を言っていると排除され、粛清されたのが、それらの国の悲劇でした。日本の軍部の圧力がかかったマスコミは、真実を告げずに、軍部の打ち出す情報を活字にして、嘘に上塗りをして戦意を煽ったのです。横暴な圧力がかけられたからでした。泣く子と地頭に負けたのです。その罪は重大でしたが、世は『仕方がなかった!』というのみでした。

 戦争に加担した文筆家たちも、国民を煽りました。あの戦陣訓の校閲に携わった島崎藤村は、兵士に死を選ばせたのです。敗戦後はただ黙り込んでしまったのです。時代の空気にあがらうことのできない人や組織があって、戦争を助長してしまったと言えます。その上、戦争で莫大な儲けを得られる企業家たちがいました。味方を得た彼らは、莫大な資金を投資して戦争を推し進め、天文学的な利益を得たのです。

 虚勢で身を包んだ指導者が、マスコミの宣伝に乗せられて、横柄に振る舞う姿は吐き気がします。現代も同じです。やはり、「否」と言える人がいないからです。そう言える人は、抹殺されてしまいました。時の権力者に諂(あがら)う側近たちの、やましい目の動きと振る舞いは唾棄されるべき、憎むべきで、支持してはいけません。

 だがしかしです、不正や不義が横行して、人の命を奪おうとも、国を悲劇に陥れようと、国民が食べられなくとも、天の御座に着座される、全能者、公正な神はおられます。コロナもウクライナ戦争も、ほしいままの様に見えても、憐れみ深い神は、それらを終息させます。「神」は、「わたしはある」とおっしゃられるお方で、支配者の座にいらっしゃるからです。

 人や国家の横暴を恐れないで、ただ神がなさろうとしておられることを、神を畏れながら、じっとこの世に現実を眺めていることにします。どの国にも、祈りの手を上げる人々がいましたし、ウクライナの地にもおいでですし、ウクライナのための祈り手がいます。この祈りをお聞きになるお方は、歴史をも支配なさる神でいらっしゃるからです。

( “ Christian  clip art ” による「祈る主」です)

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神の主権

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 『今日、国際紛争はまことにわたしたちを呆然とさせるばかりであります。人々の心臓は、恐怖のあまり、鼓動をやめさせてしまいそうです。野蛮な圧政は、幾千万の同胞を無残にも踏みつけました。4世紀前にカルヴァンが書いた言葉を借りて言えば、「世界の動乱状態は、わたしたちから判断力を奪ってしまいます。」こうした時代にあって、神の主権ということは、実に言い難い慰めであります。世界は冷酷、無慈悲な運命の手に陥ったのではありません。人間や悪魔の全体主義の餌食になったのでもありません。

 神の計画はいまなお厳存し、神は今なお、すべてよしとするときろをなしたまいます。「万軍の主は誓って仰せられた。「必ず、わたしの考えたとおりに事は成り、わたしの計ったとおりに成就する。(イザヤ1424節)」という言(ことば)は、依然として真実であります。人間史上のあらゆる不穏な事件を一貫して、全能の主なる神の主権的聖定が支配しています。たとえ、雲と暗黒が神をとりまこうとも、義と公平は神の御座の基であります。神は悪人共の不義な思いをとおして、義なる目的を実現なさいます。神は世界統治の手綱をしかと握っておられ、神が知りたまい、定めないかぎり、一羽の雀も落ちることはありません。

 実に神の予知と予定こそ、わたしたち信者は霊魂の慰めを得たいものです。これこそ、いと高き者のもとにある隠れ場であり、全能者の陰であります。それは永遠のなる神の絶対主権であります。わたしたちの主イエス・キリストの父なる神に他ならぬ方の絶対主権であります。また、まさに同じ普遍妥当性をもって、神人であり、受肉の御子であり、救主なる王、王の王、主の主であり給う主イエス・キリストの仲保者的主権であります。』

 『また、私は大群衆の声、大水の音、激しい雷鳴のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ。万物の支配者である、われらの神である主は王となられた。(黙示録196節)』

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 この記事は、ジョン・マーレイ著の「神の主権(昭和30910日、基督改革派日本伝道会発行)」の最後の部分です。著者は、アメリカ合衆国フィラデルフィアのウエストミンスター神学校の組織神学の教授をされた方です。

 第二次大戦中、マーレー師は、神学校で、「神の主権」について講義をしていたのでしょう。侵略戦争がヨーロッパでもアジアでも繰り広げられ、国際社会で覇権が猛威を激しく現れ、多くの命が失われている現実の中でさえも、神が統治し、支配していることを、神学生に教えたのです。

 今まさに、青年期に受けた教育と、選んだ職業が、一瞬にして、民主化運動で打ち破られた挫折体験をした指導者が、あの夢をもう一度再現すべく、昔の様な強い支配体制、強権のある国家を建て上げてようとする野望が動機で、ウクライナが侵攻されています。昔の強い国家の再現という、一人の政治家が牙をむいていきり立っているのです。平和に過ごしてきた隣国に、兵器を用いて攻め入り、多くの命を奪い、街々を破壊し、平和を打ち壊して、なおも猛々しくしています。

 神さまは、このかつての東欧諸国の間で起こっている殺戮行為を、放っておかれません。必ず裁きをつけずにはおかれないのです。人の悪が極まり、罪が満ちるまででしょうか、神の忍耐の限界を超える時でしょうか、わたしたち人には、それはいつかは分かりません。

 何が起きていても、全天全地を支配し、すべての人の業をご覧になっておられる神は、「義」と「平安」の統治者は、「天の御座」に、輝いて着座されていらっしゃるのです。神の御子のイエスさまは、「仲保者」で「救い主」でいらっしゃいます。

 「耳を植えつけられた方が、お聞きにならないだろうか。目を造られた方がご覧にならないだろうか。 (詩篇949節)』

 その神は、不義や闇が世界を覆おうとも、罪を見過ごされません。必ず「義の裁き」を下されるのです。

 「確かに、主は来られる。確かに、地をさばくために来られる。主は、義をもって世界をさばき、その真実をもって国々の民をさばかれる。 (詩篇9613節)」

( “ Christian  clip art ” による「神の栄光」を表すイラストです)

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 「新約聖書」のヨハネの福音書の最初のことばは、次のように記されて始まります。

『太初(はじめ)に道(ことば)あり、道(ことば)は神と偕(とも)にあり、道(ことば)は即(すなわち)神なり(文語訳)。』

 「道(ことば)」は、logos (ロゴス/ギリシャ言語でλόγος )です。中国語訳も「道 dao 」と訳されています。イスラエルに説教者によると、「アラム語(イエスさまが語られた日常会話語)」では [メモラ]と言うそうです。あの『アバ(おとうちゃん!)』も、このアラム語なのです。

 何もない無の状態に、初めからおられたのが、「神」であるからです。英語はGod 、ヘブル語は EL (ヤーウェ、エロヒム、アドナイetc.)、韓国語は ハナニム(하느님)、これらは、《唯一神》を意味していると言われます。各々の民族や氏族や部落が、それぞれに持つ様な神、自分たちにだけ良くしてくれる御都合神、ではなく、万人共通の「ただお一人の神」しかおられないに違いありません。

 聖書は、そう断言してから、書き始めています。初めに、神がおいでなのです。『微細な物質、原子があって、それが想像を絶する時間の中で、結合したり分離したりして生命体が作られ、生命体が複雑に関わり合って、高等生命になり、私たち人間になっていった。』と言う解説では説明しきれないのに、現代人の多くは、それで納得しようとしています。「創造論」を受け入れられないからです。

 神の創造なんて信じられないと言うなら、その進化した生命の存在も、荒唐無稽でなおのこと信じられないのではないでしょうか。今操作している、この  iPad ですが、どなたも進化の結果の産物だとは思いません。Apple 社の研究や設計によって、生産された驚くべき電子機器です。こんなに薄く、小さないのに、世界の隅々にまで、電波を通してつながり、様々な情報を発受信しているのを、受け止めて知らせてくれます。

 この宇宙や地球や人に、設計者はいなくていいのでしょうか。製造者がいなくて、偶然の積み重ねによって存在しているのでしょうか。息子や娘や孫や兄弟や友人や知人、自分の国やウクライナ戦争や人口問題や食糧問題、環境問題や健康問題などなどのことを考えて、悲しんだり心配したり安堵したりしている「思い」は、人の目には見えませんが、実際にあります。

 そうしているわたしに、必ず設計者と創造者がいます。『初めに神が。』と言って書き出す聖書は、すべての原点、出発点が、「神」だと言うのです。いつも思い出すのは、同志社の新島襄が、漢訳聖書の『起初神创造天地。』と言う巻頭言を読んで、『神がいるとするなら、この神が神に違いない!』と信じたと伝えられています。

 神はおいでになられます。このお方は、義、聖、愛、忠実、柔和なお方です。聖書を読まれるなら、さらに神のご性質やなさっておられることを知ることができます。わたしが、知ることができたのは、まだほんの一部に過ぎません。

 パウロは、『また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。 (エペソ119節)』と、知ることにできる神だと言って、知ることを勧めています。

 この神さまは、ご自分を啓示されておいでです。何よりも人となられたイエスさまが、神でいらっしゃるのです。もし人が謙るなら、神を認めることができ、神に知られてる自分であることが判るのです。母に聞いていたのですが、神のいますことを信じられたのです。悪さをすると、どこかで見ておられるのではないかと恐れました。良いことをすると、いい気分になるのは、この神さまがくれた心情だと思いました。

 イエスさまが、神の子でいらっしゃり、「十字架」でわたしの罪の身代わりに死んでくださった「救い主」だと判った時、すべてのモヤモヤが晴れて、神の愛や厳しさ、忍耐や促し、導きや禁止などを、深く感じられたのです。何よりも、一番判ったのは、この自分が《赦されたこと》でした。それから50年、赦された感謝は日々に新たにされ、さらに倍増するのです。

(獄中で神を賛美するパウロです〈 Christian clip  art〉)

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 間もなく迎える五月、そこで日本の食卓に欠かせないのが、「かつお」なのでしょう。江戸っ子は、女房を質に入れてでも、「初鰹」を食べたかったそうですね。当時は、極めて高値だったそうで、<一匹小判一枚>だったとかでした。

 「かつお」を食べさせてくれる食堂に、何度か行って注文したのですが、ニンニクを薄く切ったものを載せて食べる様にされているのです。江戸っ子も、そんな風にして食べたのでしょうか。おろし生姜の入った醤油で食べたら飛びっ切りでしょう

 鎌倉を生きて出でけむ初鰹 芭蕉

 華南の地では、海が近いので海鮮料理が人気があるのですが、刺身やタタキにする食習慣がありません。空前の日本ブームで、若いみなさんは、日本寿司店で、サーモンの刺身を食べる様になってきていたのです。北欧から輸入されてた「鮭」に人気がある様です。

 滞華中に、食事に招いてくださった方が、「鮭の刺身」を、私たちのために注文してくださったことがありました。「醤油」が、中国製醤油でした。もし「生醤油」で、おろし生姜があったら美味しかったのにと、ちょっと残念でした。

 何年も前に、土佐の高知に出かけた時に、お土産で、「かつおのタタキ」を買って帰ったことがありました。スーパーで買うのとは違った美味しさを感じて満喫したのです。この高知は、「鰹漁」で有名で、<一本釣り>の漁をするそうです。ところが、その漁をする漁師さんが年々減ってきて、人手不足の危機感を感じているというニュースを聞きました。

 東シナ海に、漁に出て遭難されたお父さんと息子さんを亡くされた親戚の奥様が、漁村におられ、この婦人を親族の一人として、激励しようと計画されて、誘われて一緒に訪ねたことがありました。「板子一枚下は地獄」と日本の漁師さんは、漁撈の危険性を言うのですが、こちらの漁民のみなさんも同じ様に、天気や潮次第で、人力では超え難い困難がつきものです。

 1832年、知多半島の小野浦から、千石船に船子14人を乗せた宝順丸が嵐に遭遇して、14ヶ月も太平洋を漂流してしまいます。アメリカの西海岸に漂着したのですが、乗員14人中、三吉(岩吉・久吉・乙吉)の3人だけが助かったのです。

 華南の漁村から漁に出た船と、連絡が取れず、『遭難したらしい!』とのことで、行方不明のお父さんと息子さんの無事をと、お祈りをお願いされて、お祈りしたことがありました。その時、この助かった三吉のことを思い出して、ご無事を願ったのです。

 今では漁労技術や漁労法、石油動力の漁船があって、安全に操業できるのですが、自然の猛威の前には、大海の漁船はどうすることもできません。田や畑を耕すのとは違って、漁業は命懸け、そんな苦労を覚えながら、今夕は、《海の幸(さち)》、旬(しゅん)カツオがいいなの四月です。

驚いたこと

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 2017年の春先でしたが、ある映像を見ました。幼稚園児たちが、あるご夫人の前で、感謝とお願いをしているもので、驚いてしまったのです。『中国から鉄砲とかくるけど、ぜったい日本を守ろう。』とか、『日本を守ってください。』、『よろしくお願いします!』とか、幼子が声を揃えて言っていました。この幼稚園の理事長との問答のやり取りを、このご夫人の前でしていたわけです。

 私は幼稚園にも行けないで、ハナたれ小僧で、悪戯に目覚めていた年齢の時には、まだ字も習っていませんし、野山を、兄たちの後について駆けまわっていました。この幼稚園の園児の口から出ていた、「国防」などについては何の知識もありませんでした。ちょうど「警察予備隊(今の自衛隊の前身でした)」が誕生したニュースがラジオや新聞が、仕切りに報道していた時代に、幼児期を過ごしていたのですが、大人の世界などには全く関心がありませんでした。

 それなのに、この園児たちは、黄色い嘴(くちばし)で、「国防問題」を語り、政府の責任者がする仕事に感謝やお願いまでしていたのです。それが幼稚園児がでしたから、驚きました。でも、この問答は、すでに、このご夫人の訪問前に、練習済みだったに違いありません。その理事長という人が、『中国から、何? 言って!』と園児に応答を求めていました。また、『「日本を守ってください、お願いします」と、◯◯夫人にきちんと伝えてください!』と園児に求めていて、それに園児たちが呼応していたのです。

 何だか、昔の予科練の教場でなされている、教官と練習生とのやり取りが、こんな風だったのではないかと思った次第です。聞くところによりますと、この幼稚園では、「教育勅語」を覚えさせているのだそうです。

 第一高等中学校(現在の東京大学の前身です)の教師をしていた内村鑑三が、これを聞いたら、たまげてしまうに違いありません。これを聞いていたご夫人は涙ぐんでおいででした。国政の要職に、自分の主人がついているのですから、こんなことを園児の口から聞いたら、自然と、そうなるのでしょうか。

 戦争を知らない世代の大人が、こんなことを幼児に言わせている、「愛国教育」に驚いたのです。このご夫人とご主人とに、「よいしょ」をしているように聞こえて、不愉快でした。私には孫が四人いますが、尊敬や礼節は教えていただきたいのです。でも、こんなことを言わせて欲しいとは、全く願いませんでした。もちろん日夜、国政に預かって、国の舵取りをしている方々に、感謝できる子にもなってもらいたい思いはあります。

 私は、生まれた村、学び育った町、社会人として仕事をした街街を、また、そこで出会った人々、また、した仕事を懐かしく思い出すことがあります。戦後の荒廃の中から、父たちの世代が、国を復興させたこと、そして平和を享受できる国造りをしてくださったから、それらを受けることができたのです。ですから深く感謝しています。そして、こんな日本が大好きです。私を育て、守り、寛がせてくれたからです。でも、この守りが昂じると、いつか攻撃的になっていくので危険です。

 でも、妻や子や孫を、守ろうとする思いはあります。おめおめ暴漢に傷つけられたり、殺されるのを、黙って見ていようとは思いません。拳や剣を取らなけれが、守れないなら、それらを取って、彼らを守ろうと思いながら、子育てをしました。これって真の民主主義を学んだ者の究極の決断と選びなのでしょう。でも、過剰防衛になってはいけないと思っていたのです。

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牧者

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 『わたしは良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。(ヨハネ1011節)』

 牧場の羊は、いつも危険にさらされています。そんな羊が必要としているのは、「牧草」と「清潔な飲み水」と「休息」です。それがあることで、安らかに生きていけるのです。これらが備えられるために不可欠なのが、「羊飼い」です。どうしても、導き手がいなければなりません。

 まだ信仰を持ち始めた頃に、「羊飼いが見た詩篇23篇(W・フィリップ・ケラー著/いのちのことば社刊)」を読みました。著者のケラーは、実際に羊飼いをしたことがあり、何を羊たちが必要とされているか、その必要をどう満たすかについて知っていて、その本を記したのです。

 ここに《良い牧者》がいます。羊の群れのために、その一匹一匹のために、自分の命を投げ出した牧者の存在を、著者は明らかにしたのです。羊とは、彷徨える私たち人のことです。真実な羊飼いがいないで、狼が虎視眈々と襲おうとしていますし、粗悪で劣悪で不健康な草を摂取し、汚れて腐った水を飲み、安らかに眠るとこなく生きていた私は、この「牧者」と、青年期の初期に、幸いにも出会ったのです。

 その上、正しく判断することができず、邪悪な道に誘われ、滅ぶばかりの状況下で、拾われたのです。羊が頑迷であるのと同じで、わたしも、無力なのに自分勝手に生きて、結局は迷子になって、正しい道に戻れずに、深みに沈み込もうとした時に、首根っこを掴まれて、つまみ上げられたのです。この忠実な牧者なしに、わたしは生きてはいけないのです。

 動物の中で、羊は一番愚かだと言われます。わたしも愚かで、いつも混乱していました。主なる神、イエスさまが「牧者」となってくださってから、その羊飼いの手にある「鞭と杖」を使い分けて、叱責と助けと導きをしてくださって、今日まで生きてこられたに違いありません。

 教会時代の始まりに、「使徒」として召され、その職責を果たしたパウロにとっても、イエス・キリストは、「牧者」でした。そして彼自身も、諸教会を導いた牧者でした。テサロニケの教会に書き送った手紙に、どの様に、教会を導いたかが記されています。

 『それどころか、あなたがたの間で、母がその子どもたちを養い育てるように、優しくふるまいました。このようにあなたがたを思う心から、ただ神の福音だけではなく、私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思ったのです。なぜなら、あなたがたは私たちの愛する者となったからです。(1テサロニケ人278節)』

 わたしは、パウロが、どんな人、指導者、牧者であったかを、この箇所で知りました。「母が子どもたちを養い育てるように」と、「優しさ」で接したのです。漢訳聖書では、『如同母亲乳养自己的孩子」、お母さんが乳児を、乳房を含ませて養う様にして養い、振る舞ったと記しています。

 それは、「救い主」でいらっしゃるイエスさま、また「助け主」でいらっしゃる聖霊なる神さまと同じです。私たちへの接し方は優しいのです。わたしがバスケット・ボールをしていた中学の時に、鉄拳を使って、私たちを教えると言って、先輩たちが制裁したのとは、全く違うのです。

 同志社を興した新島襄に、「自責の杖事件」がありました。当時の英学校の二年生が、集団で授業の boycott(ボイコット)をしたのです。それは、「校則違反」で、『罰せよ!』という声が上がりました。出張から帰った新島は、教壇に立って、『今回の集団欠席は、私の不徳、不行き届きの結果起こったことであり責任は自分にある!』と言って、持っていた杖で自分の左手を叩き始め、杖が3つに折れるほどでした。

 これが、明治基督者の教師の姿でした。イエスさまが、信じる者たちの罪の身代わりとなって、十字架に死なれたのに倣って、新島は、自らに罰を課したのです。そんな新島に感銘を覚えたわたしは、同志社で学びたかったのですが、道は開かれませんでした。

 ここに、「良い牧者」がおられます。滅ぶばかりの瀕死のわたしを、永遠のいのちに救ってくれたお方なのです。義を愛し、真理を求め、隣人を愛して生きる生き方を教えられ、今日も生きています。

(“ Christian  clip art ” の「羊飼い」です)

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春まだき

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 芭蕉が詠んだ句に、次のような俳句があります。

 櫻がり きどく(奇特)や日々に 五里六里

 日本列島、電車に乗っても、バスに乗り換えても、山にも里にも、桜前線が北上して、樺太に至るまで桜が順次満開中です。山の木々の間や麓の林の中や路側や小学校の校庭の隅に、桜が見られます。雪の残る「平家の落人部落」では、これからの様でしたが、帰路の東武鬼怒川線も日光線も、車窓から満開の桜を見ることができました。

 芭蕉の頃にも、桜狩りは人気だったのでしょう。旅の途中、奈良の吉野山を、桜咲く時季に訪ねたのでしょうか、人は五里も六里も、咲く桜に誘われて逍遥して、観桜を楽しんでいました。そんな人たちが、桜を追いなら、いつの間にか遠くに行ってしまって、その疲れを《花疲れ》と言うのでしょうか。

 豊かな水資源を、宇都宮市、茨城県、千葉県などに、「都市用水」として供給するために、また地域の洪水対策にのために建設されたのが、「湯西川ダム」、「五十里(いかり)ダム」です。小雨の中を、バスの車窓から、その美しい湖面を見ることができました。でも、まだ少し早いのでしょうか、山肌にポツンポツンと咲く桜花は見ることができませんでしたし、山里にも、まだ桜の開花は早かったのです。

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 花を見たわけではなかったのですが、『泊まっておいでの宿の湯は、湯西川でもとても良いんです!』と、蕎麦屋の女店主に言われて、早朝5時に散歩に出かける前に一度、午前に一度、午後に一度、夕食後に一度と、温泉を楽しんで、電車に揺られて帰ってきたら、めずらしく頭痛に見舞われてしまい、夕食後、早々と床についてしまいました。

 頭痛持ちでない私にも、ズキズキと一息ごとに痛みがやってきて、夜中の2時ごろまで眠れませんでした。そのうち痛みが引いたのでしょうか、朝まで眠ることができ、定時の5時半に起床したのです。寝る前、玄関の棚に、獨協医科大学病院の診察券と、健康保険証を用意し、『酷い鼾(いびき)がしてきたら、救急車を呼んでね!』と家内にお願いしたのですが、使わずにすんでしまいました。父が、脳溢血で召されたので、父似の自分ですから注意したのです。

 湯西川の瀬音、鳴く鳥の音、梢を揺する風の音ばかりを聴いて、好い音を聞き過ぎたのかも知れません。帰栃して街中の音についていけなかったのでしょうか、初めての頭痛体験でした。春先の《花疲れ》、いや〈湯当たり〉だったかも知れません。

 春まだき うぐいす鳴きて 平家の野

 桜なき 湯西の里に 花疲れ

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