楚々と

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 「主よ、私たちの神よ。あなたこそ栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。あなたが万物を創造されました。みこころのゆえに、それらは存在し、また創造されたのです。(ヨハネの黙示録411節)」

 一昨日、このアパートの西の端の木から、蝉の鳴き声がしてきました。嵐の中では沈黙を守っていましたが、梅雨が明けようとしてるのを知っている蝉は、それでも遠慮がちに鳴いていたのです。蝉、川泳ぎ、ボンボン、スイカ、もう夏休みになるのでしょうか。

 泳いだり、遊んだり、食べたりしたのですが、暑苦しい蝉の鳴き声は、耳の底に残っていて、それと今の鳴き声と重なって聞こえてくるのですから不思議でたまりません。暑かろうが寒かろうが、咳をし出すと、数日から一週間は布団の中でした。母に家に閉じ籠らされて、泳ぎどころではありませんでした。

 みんなが遊んでるのに、一緒に遊べない苦痛は、病弱だった私には極めて大きかったのです。兄たちは学校、弟は幼稚園に行ってるのに、私はラジオが友達でした。今、毎日昼には、NEWSの後に、「ひるのいこい」を聞いています。各地の農林水産委員という方たちから報告を、母の作ってくれた昼ごはんを食べながら聞いて、そこは日本のどこなのかを確かめたのです。
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夏がくれば 思い出す
はるかな尾瀬(おぜ) 遠い空
霧のなかに うかびくる
やさしい影 野の小径(こみち)
水芭蕉(みずばしょう)の花が 咲いている
夢見て咲いている水のほとり
石楠花(しゃくなげ)色に たそがれる
はるかな尾瀬 遠い空

夏がくれば 思い出す
はるかな尾瀬 野の旅よ
花のなかに そよそよと
ゆれゆれる 浮き島よ
水芭蕉の花が 匂っている
夢みて匂っている水のほとり
まなこつぶれば なつかしい
はるかな尾瀬 遠い空

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 日光中禅寺湖の湖畔から、日光白根山が見え、その山の向こうには尾瀬の湿原があるのです。「水芭蕉の里」です。行かずじまいでおりますが、来年こそはと、この水芭蕉もニッコウキスゲモも見に行って見たい思いがしています。「ニッコウキスゲ」ももう盛りが過ぎてしまいましたが、日光の霧降高原は生育地なのだそうです。

 人の手が入らない天然自然の美は、創造の世界です。整然として、法則通りにあって、人が、それを喜び楽しむ様にお造りになられています。ベランダの朝顔でさえ、ゴージャスなユリの一種のサマンサに、何一つ劣ることなく、美を讃えて、今を盛りと楚々と咲いています。
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すもも

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  「風土記」が残されています。これは、713年(和銅/げんめい六年、元明天皇の時代)、国ごとに編さんされた地誌(郷土のレポート)で、地名の起源・由来、産物、土地 、肥沃度、古老の伝承などを国庁でまとめ、平城京() の太政官に報告した資料だったそうです。当時日本には、六十ほどの国があり、その「風土記」は、五つの国の写本が残されていて、完全な形で残っているのは、「出雲国風土記」だけだそうです。

 中国の統治制度虹真似て国を支配するために、土地土地の特徴を知る必要があった様です。「租庸調(そようちょう)」といった税の徴収が目的だったのでしょう。 その他には、「常陸(茨城県)・播磨(兵庫県)、豊後(大分県)、肥前(長崎県と佐賀県)の一部が残されてあるそうです。

 『出雲国風土記』(いずものくにふどき)の記述の中に、その地の山野にある木について次に様なものがあったそうです。母の生まれ故郷ですから、千数百年前は、どんな風だったか興味があります。

 卑解(ところ)、百部根(ほとづら)、女委(えみくさ)、夜干(からすおうぎ)、商陸(いおすき)、独活(うど)、葛根(くずのね)、薇(わらび)、藤(ふじ)、李(すもも)など。

また、「鳥獣」は、次の様なものがいたそうです。

 晨風(はやぶさ)、鳩(はと)、山鶏(やまどり)、鵠(くぐい)、鶫(つぐみ)、猪(い)、鹿(しか)、狼(おおかみ)、兎(うさぎ)、狐(きつね)、獼猴(さる)、飛鼯(むささび)など。

 何だか分からない記述ですが、生物や動物に詳しい方がいて、それに名を付けたのでしょう。地方地方によって呼び方が違っていたのを、全国区でまとめられたのではないでしょうか。よく小生には北限とか南限とか言いますから、全国的な調査は意味があったかも知れません。現在、その全部が残されていたら、日本全土の植生などが分か理、現代との比較ができたことでしょうから、残されていないのは残念です。

 昨日果物屋で、地元の農家の出品の「すもも」を買ってきて食べました。甘くなくて酸っぱくて、甘いものばかりの果物の中で、出雲国で採れて、食べられていた様な、原初的な味覚を楽しみました。きっと、ここ下野国でも元明以前から食べられてきたことでしょう。

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ハスの花

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 この月曜日に、いつも私たちに開放と交わりの時を考えてくださるご婦人がいて、市の「総合運動公園」の北の方にある「つがの里」に連れ出してくれました。近所の方から、『ハスが綺麗なところがあります!』と聞いていて、行きたいと思っていた所だったのです。

 最盛期は過ぎていたのですが、晩期の蓮、睡蓮が見事でした。遠くから見たことがありますし、レンコンは好きなのですが、あんなに身近で、その咲きっぷりを見ることができて感謝でした。華南の町の市役所の前に池があって、そこを公共バスで通るたびに、『そろそろ咲くかな?』と思いながら眺めていましたが、そこでも最盛期を見逃していました。

 今年も〈引き籠り年〉なのですが、来栃以来、「大平山の紫陽花」、「つがの里のハス」を鑑賞することができて、美しい栃木市に感動を与えられています。地方都市、ご多聞に漏れず、ここも人口は減少傾向にありますが、住み心地の快い街です。

 お昼には、「道の駅にしかた」で、手打ち実演の蕎麦処で、蕎麦をいただきました。美味しかったのです。隣には、地元の野菜の売店があって、いろいろと買って帰りました。郊外には、この「道の駅」があって、取り立ての野菜や名産品が売られていて人気です。

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居心地のよさ

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 「なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。 (ローマ1417節)」

 「居心地」がいい場所って、天然自然が溢れている山際とか海辺とか、静かとか、あるいは便利など、生活と関係がありそうです。でも一番は、「人」でしょうか。だれかと一緒にいると居心地が良くなる、やはり心理的な雰囲気にかかっていそうです。

 父や母と過ごした家は、狭かったのです。戦時下、出雲、朝鮮京城(ソウル)や山形を経て、中部山岳の山村で、鉱石の採掘、搬出をし、戦後は、県有林の払い下げで、材木を東京方面に送る仕事を父がしていて、建築材は自由に使えたのに、公私を分けていて私物化しませんでした。東京都下に、建売の一軒家を買って住んだのです。一家6人には狭過ぎましたが、すぐ上の兄は仕事と大学で高校卒業と同時に、上の兄は大学を出て、その家を出て行ったのです。

 残った四人の住み続けた家は、中央高速道路の路線下で、立退きになって、別の街の建売を買って住んだのです。父の生まれた家は、大きな家でしたが、父には、大きく立派な家に住む願いは全くなかったのです。父が尊敬していた方が、会社の役員でありながら、同じ様な手狭まな家に住んでいて、それに父は倣ったのだそうです。

 狭さが苦痛にならなかったのですが、かえって近過ぎての度重なる衝突が、今になると懐かしくて仕方がありません。親や兄弟と過ごした期間は、随分と短かかったのだと思い返しています。それなのに、結婚した糟糠の妻とは、五十年が過ぎました。おとなしい羊の様な家内と、猛々しい虎の様な私とは、馬があっていたのか、一度だけの羊の脱走で終わりました。

 散歩途中に見付けたスーパーマーケットに入りましたら、「ラム(仔羊の肉)」が売っていて、最近は、時々、それを買って帰宅しています。お世話くださったアメリカ人宣教師が、オーストラリア産を、box で買われて、よく分けてくれましたので、子どもたちの身体の一部は、その肉と野菜、時々のオジヤと水団で作り上げられたと言えそうです。子育て時も今も、わが家も手狭な借家の連続でした。

 『魚だけではなく、肉も食べて!』と、食事指導をしてくれる長女の勧めで、動物性タンパク質不足を補っています。ほどほどに、種類多くの食材を、よく噛んで、にこやかに食べるのがいい様です。四人兄弟で、食べられないための〈食べる原理〉で、早食いの私は、やっと今頃になって、ゆっくり食べられる様になったのです。

 天国の食事風景は、みんなが長いspoon folk で食べるのだそうです。相手に食べさせ、相手に食べさせてもらうためでしょう。「神の国は飲食にあらず」ですから、本当はどうなのでしょうか。つまり、《相手優先の世界》だということでしょう。和やかでいいでしょうね。居心地の快いのは、やはり「天国」に違いありません。

 ( “ヤオコー” に掲載の「ラム」の写真です)

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アサガオ

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今朝のアサガオです。嵐の中、強風にさらされても、なんのそので、綺麗に咲きました。『夏が来た!』、そんな感じがしてきます。忙しく、あわただしく、閉じ籠りの中で、暑くなりそうです。東京オリンピックが無事に行われます様に。弟が volunteer で脇参加します。

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新参者 new face

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“ Kaguya de marché “ で、「麦わら音楽団」の concert があって、その模擬店で買った刺繍絵の《野原を泳ぐ風船》です。風にさらされ、なびかせられ、どこともなく飛んで行こうとしている風船に、自分の思いを乗せてみたくなって、見ていっぺんに買ってしまいました。New face です。

同じ風が、草を揺すっている様子がいいのです。一昨日と昨日と、雷光・雷鳴・雷雨の襲来で、地が揺り動かされているかの如き有様でした。18の時に、熊本の本渡で、台風に遭いました。真夜中、窓ガラスが壊れ、廊下を隔てた部屋の襖を背中で押さえて、まんじりともしなかったことがありました。まさに台風渦中の怖さでした。

それ以上の凄まじい暴風雨で、視界ゼロでした。初めての経験でした。雨が雲の様に真っ白く西から、そして東から猛烈に吹いていたのです。この風船を飛ばしているのは「そよ風」、76年のこれまで、そよ風ばかりではなく大嵐もあったのを思い出しています。

異常気象で自然界は荒れ狂っていますし、コロナ騒動も収まりませんが、心の中には、そよ風が優しく吹いている様で、素敵な老境を過ごしております。この日曜日の午後、礼拝を済ませて出かけたconcert で聞いた、ジャズ調のgospel  song が聴き心地がよかったのです。"You rase up  me “ でした。まだ、その余韻が残っています。

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ビックリ

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 昨日の午後三時過ぎ、もう夕方でしたが、前代未聞、前代未経験の「大嵐」でした。ベランダの窓から、外を眺めても、一寸先が見えないほどの風雨で、さしものアパートが飛んでしまうのではないかと思うほどでした。

 18の時、熊本の本渡という島で、台風に遭遇したことがありましたが、その時は、窓を背中で押さえて、真夜中に寝ずの番をしましたが、あの時は暗くて、外は何も見えませんでした。でも、昨夕は、本当に驚きました。西風が東風に急激に変わって、吹き荒れると言う感じでした。

 一生に一度、そう言いたい程でしたが、これからもっと荒々しく天候がなっていくのでしょうか。自然が、人の所業に、怒って荒れ狂うが如きでした。朝に、ラジオ体操仲間から花をいただき、友人の教会の礼拝に、二人で参加し、夕べには嵐の後に虹が出ていました。部屋の中では、胡蝶蘭の最期の二輪が残って咲いていました。

 何が起こってもおかしくない時代、驚きながら生きていくのでしょうか。西側の窓の網戸が、手が届かないので、蜘蛛の巣が取れなかったのですが、強烈な水圧で吹き飛ばす《神の大掃除》がなされて、すっかり綺麗になってしまいました。本当にビックリした週初めでした。

 

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